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3つのアイドルグループを掛け持ちして活動

ーー逆学歴差別……。話は前後しますが過食の原因にもなったアイドル活動をなぜ大学に入って、再び再開したんですか。

なな茶 私自身はもうやるつもりはなかったんですけど、お父さんから「いつアイドルに復帰するの?」「どういう気持ちで東京にいるの」とか言われたりして。お父さん、厳しいときは厳しいので。

 それで自主映画とかよくわからないドラマであったり、PVに出ていたんです。そんな時に「ステーション♪」の頃の関係者に声をかけられて「はつめろ☆彡」というアイドルグループに入りました。

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©杉山拓也/文藝春秋

「はつめろ☆彡」では鉄道博とかいろいろ出させてもらいました。給料も月7万~8万円位は出ていたんですが、運営している社長さんが関西の方で、関西でしか中心に活動ができなかったため、もっと東京で活動したいと思い、知り合いに相談して「ALLOVER」というグループも掛け持ちで入りました。そこから「PLC」というグループにも入って、3つのアイドルグループを掛け持ちしてました。

関係悪化で辞めざるを得ない状況に

ーーアルバイトもそうですが掛け持ちが好きですね。生活とかはどうだったんですか。

なな茶 PLCはタピオカチェーンのイメージガールで、チェキバックも3~5割入って月に十数万円はいけました。その頃はロッテリアでもバイトをしていて、そこでも大体10万円くらい。大学で初めて自分のためにお金を使う喜びを覚えて「ワコールの下着が買える! トリンプも買える!」って楽しかったです。

©杉山拓也/文藝春秋

ーー生活が安定したPLCも最終的には辞めてしまいます。

なな茶 PLCではメジャーデビューもしたんですけれどライブはずっと同じ場所だし、ファンが増えなくて。プロデューサーとの関係も悪化して、結局大揉めして辞めました。

 PLCを辞めた3人で「黒のシャーナ」と言う3人組グループを組むんですけど、途中で私のグラビアの仕事が増えたことへの不満だったり、イベントを開いても私のファンが多いことにメンバーから不満が出て辞めざるを得なくなって。

 当時アイドルグループのメンバーが「ヤングジャンプ」の表紙を争う「サキドルエース」に出ていたんですけど、他の子はグループメンバーの応援があるのに、私には配信も1回も出てくれなかったしツイートもしてくれなかったです。なので一人で戦って優勝しました。