被害者の酪農家を一軒ずつ回った
藤本らのチームへの取材がなかなか進まない中で、「とにかく今できる取材をやろう」と切り替えた2人は、これまでOSOによる被害を受けてきたすべての酪農家に話を聞いて回ることにした。
――酪農家の方々との話の中で印象に残っている言葉はありますか?
山森 僕が一番驚いたのは、皆さん、「OSOをどうにかしてほしい」とは仰るんですけど、「早く殺してほしい」という人はほぼいなかったことなんです。もともとヒグマがいた領域に自分たちが後から入ってきた感覚をお持ちだからなんだと思います。
有元 僕もそれは印象的でした。「もうこうなったら殺すしかないんだろうけど、元いた場所に戻ってくれれば、お互いがそれぞれの領域で生きられるのに」と。あるいは「本当は可哀想なクマなんじゃないか」とか「弱いクマなんじゃないか」とOSOの境遇に思いを馳せる方もいらっしゃいました。
山森 あの辺りは夏の気温が低いために稲作も畑作も難しくて、酪農でようやく産業が成り立ってきた地域なんですね。そういう厳しい自然環境の中で生きている者同士という部分で、OSOに対しても生き物としての共感みたいなものがあるのかもしれません。自然が相手の仕事ですから、自分たちの力ではどうしようもないもの、ままならないことがある。そのことを深く理解している人たちの言葉だと感じました。
「今思うと、どうかしてるんですけど……」
一方で藤本ら「特別対策班」への取材は相変わらず進んでいなかった。
山森 やっぱり、その焦りはありました。それで藤本さんたちに委託している北海道の釧路総合振興局のルートからも取材しようとしたら、ちょっとした行き違いがあって、一時は藤本さんのほうから「そんな風にやるならもう来なくていい」と言われてしまいました。
有元 2人して、お詫びと改めて自分たちが藤本さんに取材したい理由を書いた手紙を持って行って……結局、藤本さんはお渡しした“詫び状”の中身を読んでいなかったそうで、この間お目にかかったときに「ほれ、これ返すわ」と返してくれました(苦笑)。
山森 「来なくていい」と言われてしまった以上、正面から取材に同行させてもらうことは難しくなってしまいました。冬眠明けのクマが動き回る残雪期でしたから、僕たちが取材できていない間も、藤本さんたちのチームはOSOの姿を求めて動き回っていることは間違いないわけです。それで今思うと、どうかしてるんですけど、僕らは藤本さんの車を探して、闇雲にドライブしてたんです。
有元 夕方、藤本さんの事務所をのぞいて、もし赤いハイラックス(藤本の愛車)がなければ、どこかへ出動しているわけなんで。
山森 「じゃあ、ちょっとグルグルしてみる?」って(笑)。藤本さんはOSOを探して、我々はOSOを探している藤本さんを探していました。