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「医学部受験のため6浪しました」フリーアナウンサー・原千晶(35)が振り返る“後戻りできなくなっていた日々”「予備校では多浪ズと呼ばれ…」

2024/01/26

genre : エンタメ, 芸能

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 なんでこんなに勉強しても受からないんだろう。一生懸命やってもダメなのか。中には浪人中に遊んでいる人やバイトしながら受かっている人もいるのに、どうして自分は受からないんだろうって。もう、これ以上勉強を続けても難しいのかなとさすがに落ち込みました。

 また多浪や受験時の年齢に厳しい医学部もあってどんどん志望校の選択肢も狭まっていくんです。これは諦める方向も考えないといけないのかとやっと思い始めて、ラスト1年と決めて受験に臨みました。

 今まで医学部しか受けなかったのですが、6浪目のときに初めて医学部以外の大学も受けました。現実も見ていかないといけないなと、ちょっと思い始めたのかな。

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©佐藤亘/文藝春秋

長い浪人生活で「多浪ズ」と呼ばれるようになりました

――長く浪人生活が続くと「浪人」に慣れてしまう感じはありましたか?

 慣れちゃう…それもちょっとあるかもしれないですね。麻痺するというか。浪人を重ねていくと周りから多浪と思われるし、やっぱり恥ずかしさもありましたよ。これだけ浪人しても受かってない自分。それでも浪人が日常になって、その環境に慣れてしまった自分もいたかもしれないですね。

 そもそも自分の中では医学部受験では3、4浪くらいまではそんなに多浪のイメージがなかったんです。でも5浪目になると、さすがに医学部を目指す人でもそんなに多くはないし、同じ予備校に通っている仲間から「多浪ズ」って言われだしたんです。私以外にも多浪の友達が何人かいて、その人たちを束ねて「多浪ズ」ってグループで言われていました。確かにはたから見ても5浪ってなかなかいないし、焦りをより感じるようになりました。

©佐藤亘/文藝春秋

――「多浪ズ」と呼ばれてどう思いましたか?

 すごく可愛いネーミングだな! って一瞬思いましたが、全然嬉しくなかったです(笑)。もともと楽観主義なので、1浪の人たちに「多浪ズ」と言われて「そう、多浪だよ!」と明るく返していましたが、自分が置かれている現実も自覚しましたね。

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