言葉に対する向き合い方が変わったんだと思います。以前は輪郭のない感情をはっきりとかたちにしてもらえるから、言葉のことが好きでした。でもかたちにすることで逆に言葉が縮小してしまったり、肥大化してしまったりするんだなって。そう気づいてからは、言葉が単純に好きなわけではなくなりました。
言葉には美しい部分だけでなく、愚かで醜い部分もある。私の言葉もいろいろなものが混じりあって、いまはちゃんと濁ってきたような気がします。その濁った言葉をどう使っていくか、ひとつの分岐点にいるのかもしれません。でも責任をもって言葉と向き合えるようになったと思います。
橋本愛が救われてきた言葉とは?
――橋本さんの言葉に救われたと感じている人も少なくないと思いますが、橋本さん自身はどんな言葉に救われてきましたか?
橋本 いちばん大きいのは、「愛されなかったから愛を知ったんだ」という映画『エンドレス・ポエトリー』の中の台詞です。すごく救われました。
その映画を観たころの私は、自分が愛されていなかったとは思わないけど、自分の求める愛とは違うものが返ってくることが多くて、とても苦しかったんです。だから私は人を愛せないんだなって。愛を知らないから人を愛せないし、じゃあ生きている資格すらないと思って、その負の連鎖の中にとらわれていました。それくらい自分を追い詰めていたんですね。
でもその台詞に出会い、得られないことで自分の欲している愛のかたちがわかるんだと気づいたら、すごく生きやすくなったんです。それならその愛を人に与えればいいんだ、そうすることで人をちゃんと愛せるようになれるかもしれないって。それからは希望を持てるようになりました。
監督のアレハンドロ・ホドロフスキーは、いろいろな宗教を学んで、そこから得た思想をパッチワークみたいに継ぎはぎして映画を作ったらしいんです。私の言葉も、同じようにどこかの誰かの考えを継ぎはぎしてできたものでもあるので、ホドロフスキー監督のその台詞が自分の救済になったのは面白いなと。その言葉が私の考えを180度変えてくれました。