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 ただし「ナイキ」は当時から広告プロモーションが極めて上手でした。そのマーケティングへの熱意が描かれているのが、ちょうど2023年に公開された映画『AIR/エア』です。

 この映画はバスケットボールシューズの市場で苦戦を続けている「ナイキ」が期待の新人だったマイケル・ジョーダンと契約し、エアジョーダンが誕生するまでのストーリーを史実をもとに描いたもの。しかし、当時のジョーダンは生粋の「アディダス」ファン。80年代の人気ヒップホップグループのRUN─DMCが「アディダス」のスーパースターをシューレースを通さずに履いてメディアに登場していたように、当時は「アディダス」こそが世界一のスニーカーブランドとして認知されていたのです。

 さて、そこからどうやってジョーダンを説得したかは実際に映画を観ていただくとして、重要なのは、エアジョーダンの登場をきっかけに「ナイキ」のスニーカーがファッションアイテムとして人気を獲得するようになったこと。その人気ぶりは凄まじく、アメリカではエアジョーダン5の発売時には殺人事件まで起こりました。

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 そして現在の「ナイキ」のプロモーション戦略にも通底する重要な点が、ブレイク直前のカリスマを、破格の待遇でプロモーションに起用することが挙げられます。

 当時のNBAはどん底だった70年代からマジック・ジョンソンが登場し、シャキール・オニールやマイケル・ジョーダンなどのスター選手がしのぎを削るNBAブームが起きはじめていた頃。そのブームはアメリカ国内に留まらず日本でもNBA人気の高まりとともに1990年から『週刊少年ジャンプ』(集英社)で『SLAM DUNK』が連載を開始し、一気にバスケットボール人口が増えたことを記憶している人も多いでしょう。

 そんなNBAはアメリカのプロスポーツやエンターテインメント市場の成熟ぶりがうかがえる経済的な豊かさや自由の象徴でもあり、デニス・ロッドマンをはじめとしたファッションリーダーを生んできた場所でもあります。

デニス・ロッドマン ©getty

 “エア”のふたつ名の通りに高く跳び上がって飛ぶようにダンクを決めるマイケル・ジョーダンの姿に、当時の若者たちはアメリカの力強さを投影して試合を観ていたのです。

 それに対し、エアジョーダンの登場以降の「アディダス」は苦戦を強いられます。というのも当時の欧州は経済面でも振るわず、テロも頻発していました。英国ではサッチャー政権下による賃金の低下や失業率の上昇が起こり、映画『トレインスポッティング』で描かれているように若者たちは未来に希望を失っていたからです。(ちなみに『トレインスポッティング』の主人公にして薬物中毒者のレントンが劇中で履いていたのは「アディダス」のサンバでした)

ナイキと「ソ連崩壊」の意外な関係

 さらに「アディダス」や「プーマ」の母国であるドイツでは、1989年にベルリンの壁が崩壊。ソ連の崩壊によって冷戦が終わると、一気に世界中に自由主義の波が押し寄せ、アメリカ一強の時代が訪れます。そこにアップル社やマイクロソフト社がシリコンバレーから頭角を現すと「アメリカ製こそが最先端である」と、みなが考えるようになったのです。

「ナイキ」がスニーカー市場のシェアの大半を獲得できたのは、冷戦終結によって国際政治と経済のバランスが大きく変わったことと無関係ではありません。