キース・へリング(1958―1990)の絵をどこかで目にしたことがある人はきっと多いはず。そんな風に誰もが彼の作品を気軽に楽しめる状態こそ、へリングが望んだことだったと思われます。
へリングは80年からNYの地下鉄駅構内に落書きを始めます。当時のストリートアーティストのほとんどが夜中にこっそり忍び込み、スプレー・ペンキで電車の車体などに描いていたのに対し、へリングは日中堂々、駅構内の空いた広告スペースに貼られた黒い紙に白いチョークで描きました。破壊的な表現方法でこそありませんが、違法行為なのでたびたび捕まりました。しかし、当時の殺伐とした地下鉄駅で、ポップでユーモアのある画風は人々から支持されました。深いメッセージ性もあり、落書きではなくアートだと認められていたのです。
そもそも、地下鉄駅構内を発表の場に選んだのは、へリングがアートは特別な人や美術館だけでなく全ての人のものだと考えていたから。駅なら様々な人種・階層の人々が無料で気軽に見ることができます。また、絵に文字をあまり組み合わせないのは、英語ができない観客も想定していたからでしょう。
絵のスタイルは太い線で描いたシンプルな記号のような形状で、視認性が高く理解しやすいのが特徴です。本作もそうで、放射状の線が輝きを思わせることから「輝く赤ちゃん(ラディアント・ベイビー)」と呼ばれます。配色も対比的に赤と青で、赤ちゃんが際立っています。
輝く赤ちゃんは、へリングが自分のサイン代わりに描いたモチーフでした。この絵は5枚連作の一枚で、タイトルの「イコンズ」は連作名。イコンとは象徴的なものを意味し、他の4枚も彼の作品によく登場するアイコニック(象徴的)なモチーフのバットマン・天使・犬・三つ目、をそれぞれ描いています。
輝く赤ちゃんが表す意味は、生命力・可能性・純真さ・始まりといったポジティブなもので、放射状の線は光やエネルギーの放出とされます。また、この赤ん坊を画家自身とする見方もあります。
さらに、イコンとはキリスト教の聖画像のことも指します。宗教性を匂わす天使のモチーフもあることから、伝統的な西洋絵画に描かれる幼児姿のキリストが輝くさまも連想させます。つまり、どう解釈するかは見る人の自由にゆだねられているのです。ここにも、全ての人に開かれたアートという制作態度がうかがえます。
へリングは徹底していて、自作が高額になった際には、お金持ちでなくても買えるよう、安価なグッズを販売するポップ・ショップを開きました。このような彼の姿勢には、アートを通して大衆に訴え、美術の在り方だけでなく、世の中も変えようとする意思が感じられます。実際、彼は子供達との協働制作をたびたび行い、反核や反差別といった社会運動のためのポスターを無報酬、ときには自費で制作しました。それを踏まえると、輝く赤ちゃんは、彼の理念がハイハイして前進しているようにも見えてきます。
INFORMATION
「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」
森アーツセンターギャラリーにて2月25日まで
https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/keithharing/