ドキッとさせられる絵です。若者が屋外で全裸。しかも、体をひねって鑑賞者へと親しげな笑みを投げかけています。タイトルの「洗礼者聖ヨハネ」から、キリストに洗礼を施した人物のようですが、それにしてはちょっと艶めかしすぎるように見えますね。
作者は16世紀末~17世紀イタリアの画家カラヴァッジョ。激しい明暗によるドラマチックな表現で名を馳せ、同時代のイタリア、ひいてはその後のヨーロッパ絵画に大きな影響を与えました。本作も、暗がりでスポットライトを浴びたように少年の姿が鮮やかに浮かび上がっています。
彼のもう1つの大きな特徴は、その生々しすぎるほどリアルな描写にあり、ヨハネ像には手を伸ばせば触れられそうな迫真性があります。躍動感の秘密は構図にもあるようで、若者の下腹部を中心に、手足と赤や白の布がプロペラ状に広がり、画面の外へと溢れ出るようです。また、右下の植物もそれと相似形のように渦を描き、いきいきとした様子を演出しています。
このように鑑賞者の感覚に強く訴える画風は、富裕な美術愛好家や大衆から熱狂的に愛されました。また、当時のカソリック教会にとっては、プロテスタント勢力に押され気味だったこともあり、宗教芸術の魅力で巻き返しを図るのにぴったりでした。しかし、そのあまりの生々しさは保守層に敬遠され、同時代の伝記作者によると、注文主の教会から描き直しを迫られることもあったとか。本作は貴族の自宅用だったため、画家が持ち味を存分に発揮できたのでしょう。
さて、これが本当に洗礼者ヨハネなのかというと、実は諸説あります。所有者の目録にそう書かれていたので通説になりましたが、ヨハネは布で体を覆い、十字架状の杖と共に描かれるのが通例。カラヴァッジョが描いた他のヨハネ像はそれに従っていますが、本作は典型からは外れています。
今のところ有力視されているのは、旧約聖書のイサクとする見方。イサクは神の言葉によって父アブラハムに生贄に捧げられそうになり、すんでのところで天使に止められ、かわりに雄羊が供えられました。左下の燃える薪と右上の雄羊がこの説を後押しし、イサクの名が「笑み」を意味することが、若者の謎めいた笑顔につながるのかもしれません。ただし、イサクはまさに首を切られんとする場面を描くのが普通ですが、その伝統からは逸脱しています。さらに別の説さえ出ていて、画家は見る人が様々な解釈を重ね合わせて楽しむことを想定したのではないかとも考えられます。
しかも、少年のポーズの元になっているのは、ルネサンスの巨匠ミケランジェロが描いたシスティナ礼拝堂天井画の一場面、「ノアの犠牲」の隅を支える男性像なのです。また、注文主の屋敷前の噴水彫刻との関連も示唆されています。そこには本歌取りのような意図や、巨匠を乗り越えようという野心もあったのでしょう。人々を魅了しつつ、このように翻弄することが作者の狙いだったのかもしれません。
INFORMATION
「永遠の都 ローマ展」
福岡市美術館にて3月10日まで
https://roma2023-24.jp/