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津波、原発事故、洪水、そして2度にわたる大地震…10年間で大災害が頻発してもなぜ相馬市の人々は希望を失わなかったのか

津波、原発事故、洪水、そして2度にわたる大地震…10年間で大災害が頻発してもなぜ相馬市の人々は希望を失わなかったのか

日本一に輝いた福島醤油#1

2024/02/07

genre : ライフ, 社会

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 2019年10月に来襲した台風19号と直後の集中豪雨では洪水が起き、山形屋商店も浸水被害に遭った。

 そして、福島県沖地震が2年連続で発生する。

 2021年2月13日深夜、相馬市など1市3町で震度6強。さらに翌年の2022年3月16日深夜には、同市など3市2町でまたもや震度6強。

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 新型コロナウイルス感染症の流行と重なり、市民は著しく疲弊した。

 こうして震災以降、少し復興が進んだかと思うと、また新たな災害に痛めつけられた。しかも地震の揺れは回を重ねるごとに酷くなり、2022年の福島県沖地震では住家などの公費解体申請が1177件も出される事態になっている。市内ではどんどん空き地が増えているのが現状だ。

地震で蔵が全壊したものの、再建する資力はなく…

 福島県沖地震では山形屋商店もただでは済まなかった。特に2度目の2022年の地震では、冷蔵のショーケースがサッシ戸を突き破って道路に飛び出すありさまで、四つある蔵は全て大破。原料を収蔵する石蔵では石材が崩落した。ケガ人が出なかったのは、発生時刻が深夜だったからだろう。

 雨が降れば作業場はまるで屋外であるかのように雨漏りし、床や壁にも深々としたひび割れが走った。

 市の罹災調査では全壊とされ、解体して建て直すしかない状態だった。

 だが、醤油醸造はもうかる産業ではない。山形屋商店は家族経営で、蔵を再建する資力がなかった。相馬市では震災以降、人口減少が著しく、経済規模も縮小し続けていて、どんなに頑張っても収益アップに結びつく要素はなかった。借金をしたら返せる見込みがない。渡辺さんは「このままだと廃業せざるを得ない」と口にするようになる。

醤油造りを再開できたワケ

 ただ、全壊の蔵でも醤油を造ることはできた。

 これには秘密がある。「福島方式」の醤油醸造である。

 醤油の製造工程は大きく二つに分けられる。大豆や小麦を原料にして発酵させ、「生揚(きあ)げ」と呼ばれる生醤油を造る。ここまでが前半だ。後半は生揚げに副原料を加えて火入れをし、食欲をそそる香りを引き立て、鮮やかな色に整える。

 福島県ではこのうち前半の生揚げの醸造を「共同」で行っていた。

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