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 経営体力のない小さな蔵では、醸造設備の維持管理が難しい。そこで福島県内の醤油蔵が集まり、1964(昭和39)年に福島県醤油醸造協同組合(二本松市)を設立した。組合は生揚げの協業工場を建設。各蔵は同工場で醸造した生揚げを仕入れて火入れをしていた。

大豆と小麦をタンクに仕込んだ後、微生物の力で発酵させる(福島県二本松市、福島県醤油醸造協同組合の醤油工場) ©葉上太郎

 火入れは醤油の色や香り、味を決定づける重要な工程なので、生揚げは同じでも各蔵の特徴がある醤油になった。

 こうした製造法は「福島方式」と呼ばれ、福島から全国に広まった。

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品切れを阻止するため、全壊した蔵を自力で応急処置

 福島方式はこうしてもともと小さな蔵の維持装置として導入されたのだが、福島県沖地震では災害時の延命装置にもなると分かった。協業工場が被災を免れれば、生揚げを確保できるからだ。蔵は被災しても、火入れを行う設備さえ復旧できれば、なんとか製品に仕上げられた。

 渡辺さんは全壊した蔵の中で、醤油の火入れを行えるよう自力で応急復旧させた。そして被災から1カ月あまり後の2022年4月末、うすくち醤油の火入れをした。

 在庫が足りなくなっていたからだ。愛用してくれる顧客がいる以上、品物を切らすわけにはいかない。

 その頃、毎秋結果が発表される全国醤油品評会への出品時期が迫っていた。応募は6月までに行わなければならない。間に合う醤油は、この時に火入れをしたうすくちだけだった。

 山形屋商店は東日本の醤油蔵の多くがそうであるように、こいくちが主力商品だ。うすくちは細々と造っていたにすぎなかった。顧客は料亭などに限られていて、渡辺さんも年に2回しか火入れをしていなかった。普通なら品評会に出すなど考えもしない醤油だ。

最高賞を受賞して「力の及ぶ限り蔵を存続させよう」と決意

 しかし、「廃業するなら、最後の品評会になる。うすくちしかないけど、思い残すことがないように出品しておこう」。そんな思いでうすくちをエントリーしたのだった。

 ところが、なんと最高賞の農林水産大臣賞に選ばれた。

 審査はどの蔵の醤油か分からないようにして採点されるので、被災が考慮されたわけではない。

 全国醤油品評会で大臣賞が与えられるのは5点だ。2022年の出品数は270点だったので、各蔵が腕によりをかけた醤油の中でも、ほんのひとにぎりしか栄誉に浴せない。