最大震度7を記録した能登半島地震。壊滅的な打撃を受けた奥能登エリアでは、震度6弱以上の揺れだった地区が多かった。

 その「震度6強の地震」に2年連続で襲われた自治体が東北にある。

 福島県相馬市だ。

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 2021年2月と2022年3月に福島県沖地震が発生したのである。

 それまでも東日本大震災や津波、原発事故、水害と災害が続いていたのに、さらに傷ついた。

 大災害が連続する恐ろしさは、人々の心にようやく芽生え始めた希望を摘み取ってしまうことだろう。

 だが、そうした中でもくじけなかった人がいる。いや、一度はくじけたが、それでも前を向いた。

 醤油や味噌の醸造販売をしている山形屋商店の店主、渡辺和夫さん(54)だ。

左から、こいくちの本醸造、こいくちの「別上」、うすくち。3種類の醤油を抱えて渡辺和夫さん(福島県相馬市、山形屋商店) ©葉上太郎

醤油が復興に向けて歩むための希望に

 醸造蔵が全壊。廃業を余儀なくされかねない状態だったにもかかわらず、全国醤油品評会(日本醤油協会主催)に出品して、最高賞の農林水産大臣賞に輝いた。

 同商店は福島県沖地震で被災して以降、2年連続して大臣賞を受賞しており、2年目の2023年は地震の被害が最も大きかった港町だけで使われてきた超ローカルなご当地醤油が選ばれた。地元の要望に応え、漁師の好みに合わせて味を変えてきた商品で、「港町が造った醤油」といっても過言ではない。

大臣賞発表の後、「浜の駅松川浦」では「別上」の特設売り場が設けられた(福島県相馬市) ©葉上太郎

 この受賞が渡辺さんや港町にとって、どれだけ大きな出来事だったか。

 諦めなければ、未来がつかめることもある。醤油は港町が復興に向けて歩むための希望になった――。

度重なる災害と感染症の流行

 まず、相馬市がどれだけの災害に打ちのめされてきたかを振り返っておきたい。

「連続災害」の始まりは2011年3月11日に起きた東日本大震災だ。

 震度6弱の揺れに見舞われただけでなく、高さが9mを超える津波が押し寄せて、市内の死者数は458人を数えた。

 被害はそれだけに止まらなかった。市街地から約45km離れた東京電力福島第1原発でメルトダウン事故が発生。相馬市は政府の避難指示エリアにこそ入らなかったものの、遠方に逃げる市民が続出した。風評被害にも悩まされ、今もまだ解消されたとは言えない状態だ。