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初めての挑戦で最高賞を受賞

 渡辺さんは先代店主の義父のもとで11年間の「丁稚奉公」をした。これが終わり、ようやく一人前になったかと思うと、2012年に義父が亡くなった。渡辺さんが店主に就任したものの、震災と原発事故による混乱で売り上げは大幅に落ちていた。悪いことに原発からの汚染水漏れが発覚し、「風評被害で県外の取引先を全て失いました」と渡辺さんは振り返る。

 どうやって生き延びるか。他の醤油蔵のやり方を参考にし、意見も聞きたいという思いもあって、勉強会に参加したのだった。

「清酒のように全国醤油品評会で入賞点数を増やすことで苦境を乗り切れないか」。勉強会では、出席者の間からそんな声が出るようになる。

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 渡辺さんは2013年、主力商品のこいくちを出品した。すると、初めての挑戦で最高賞の大臣賞に選ばれた。以後、こいくちは4回も大臣賞を受賞する。

 そして2022年にはうすくち、2023年には別上と、山形屋商店の醤油は3種類全てが大臣賞に輝いた。

どん底から必死の思いで仲間とつかんだ日本一

「震災と原発事故が起き、福島のあらゆる産品は風評被害で負のイメージが付きました。私達は一生懸命に放射能検査を行い、科学的な安全性を訴えました。しかし、消費者の安心には結びつきませんでした。ならば第三者の評価で品質の高さを示すしかない。全国醤油品評会で日本一と認められてこそ風評被害を払拭できるのではないかという思いで、県内の醤油蔵の仲間と力を合わせて挑戦を続けてきたのです」。渡辺さんはこの10年を超える取り組みをしみじみと語る。

 福島の醤油蔵の技術は次第に向上し、全国醤油品評会での入賞点数は2019年、2021年、2023年と3度も日本一になった(2020年はコロナ禍のため開催されず)。

 山形屋商店の快進撃は仲間がいてこそ実現できたのであり、福島県の醤油醸造技術がレベルアップした中での成果だった。

 単なる日本一ではない。どん底から必死の思いで仲間とつかんだ日本一なのである。

 たび重なる災害に何度も突き落とされては、はい上がり、試行錯誤を続けてきた結果だということを、私達は覚えておきたい。