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御曹司が見せた涙

 頭を上げた章男の目には、薄っすらと涙さえ浮かんでいた。章男は服部の顔を正面から見据えると、

「私を助けてください」

 と言って、再び頭を下げた。

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 服部は、腹の底にこみ上げるものを感じながら、章男の手を握り締めた。豊田英二、章一郎と、創業家の人間たちと曲がりなりにも直接接し、創業家の重みを知る服部だったが、これほどまでに直接的な言葉で頭を下げ、助力を乞うてきた豊田家の人間は、章男が初めてだった。それだけに、未知の中国大陸と創業家の重圧を前に、不安を隠そうとしない男が哀れでもあり、またその素直さに強い好感を持った。

「章男さん、僕が全力で支えますから。トヨタで一番、中国のことを知っているのは僕ですから。僕に任せてください」

いざ北京へ

 数時間後、章男と服部は、成都から北京に向かう飛行機に共に乗り込んでいた。服部の北京復帰は、4年ぶりだった。

 かつてバラック小屋のようだった北京空港(現・北京首都国際空港)は、1999年に大規模改修がなされ、面積も3倍以上の国際空港として生まれ変わっていた。2008年の北京オリンピック開催を控え、第1ターミナル、第2ターミナルに次ぐ第3ターミナルと、新滑走路の建設も決まっていた。

 煌やかな、中国の飛躍的な発展を象徴するかのような、北京空港の全景が近づいてくる。服部の胸中は、それでも複雑だった。

怒りと憎悪の地を再訪

 服部は日本に帰国して以来、何度も北京と東京との間を行き来してきた。そこで生まれ、27歳まで育った中国の地は、服部にとって決して郷愁を呼び覚ますような土地ではなかった。

「中国にはいい思い出なんてない」「中国共産党の惨さは言葉にはできない」

 何度となくこう語る時、その語気には怒りと憎悪がこもった。表情は強張り、目尻に煙がたった。

 服部にとって怒りと憎悪の地、中国に再び戻ろうとしている。しかもこの時は、世界的な自動車メーカーのトヨタが世界で唯一後塵を拝する土地で、捲土重来を期する重大なミッションと、創業家の御曹司の命運が、服部の双肩にかかっていた。豊田家が最後に頼りにしたのは、トヨタにとっては“異邦人”である服部しかおらず、また、服部がその才を十分に発揮できる場所も、中国しかなかった。その、章一郎と章男が創業家の命運をゆだねた“中国の怪物”、服部悦雄は、いかにして誕生したのか。