ほぼ初対面に等しい2人の顔合わせは、章男が宿泊しているホテルの部屋だった。部屋の扉をノックすると、すぐに扉が開き、章男の声が降ってきた。
「服部さん、ご無沙汰です」
章男は笑顔で服部を迎えてくれた。けれども、風邪気味だと言う通り顔色も冴えず、あきらかに体調が悪そうだった。それでも、章男は笑顔を作っていた。
「わざわざ成都まですみません。北京でも良かったんだけれど、北京に入る前に服部さんと、どうしても話がしたかったので……」
章男に、服部との面会を勧めたのは、父、章一郎だった。章一郎は、服部と奥田の付き合いの深さは、十分に承知していた。しかし、泥沼化している中国に裸同然で赴いて、頼りになるのは“中国人”の服部であり、その人脈しかないと、章一郎は見抜いていた。
豊田家の親子関係
普段、章一郎と章男はさほど近しい親子関係ではない。いやむしろ、章男は父に対抗するようなところがあり、京都での料亭遊び、いわゆる茶屋遊びでも、父の馴染みの店には靴をぬごうとはしなかったし、行く店も、事前に父やその周辺の人間が来ていないことを確認してからでないと、行くことはなかった。
「いや、いや、私こそ、お会いできてよかったですよ。北京に行くと、2人で話すこともできないかもしれないから」
章男はルームサービスで取っていたコーヒーを服部に勧めた。
「砂糖やミルクは必要ですか」
豊田家の4代目は服部を気遣った。章一郎にはこんなことは絶対にしないだろう、と思いながら、服部はコーヒーにミルクを入れる章男を見ていた。
深々と頭を下げる姿に呆然
章男はコーヒーを一口すすると、改まったように服部に向き直った。
「服部さん、私は中国のことを全く知りません。すべて服部さんに任せなさいと、名誉会長からも言われております。どうかよろしくお願いします」
こう言うや章男は立ち上がり、そして深々と、服部に頭を下げるのだった。慌てたのは服部だった。豊田家の御曹司が、自分にこれほどまでに謙ってみせるとは、予想だにしていなかったからだ。服部は深々と頭を下げる章男を、しばし呆然と見ていた。そして我に返ると、バネのように椅子から立ち上がり、
「章男さん、僕みたいな男に、そんなことしちゃあダメですよ」
と、頭を上げるように頼むのだった。