8代目社長・奥田碩が出した答え
早速、服部は奥田を訪ねた。服部の説明を、奥田はつまらなそうな表情で聞いていた。奥田は、章一郎の経営者としての手腕は評価していなかったが、創業家の長としての立場を慮り、経営にまつわることは逐一報告し、了承も得ていた。独断に見える奥田だが、こうした配慮は抜かりなくしていた。
「俺は気を使ってそうしてるんだけどな……」
と漏らす奥田に、服部がとりなすように言った。
「それが裏目に出ているんだから、また呼んであげたらいいんじゃないですか?」
奥田は章一郎の希望を入れて、トヨタ関連のイベントに、再び章一郎を呼ぶようになった――。
サラリーマン社長の功績
奥田は社長時代に、世界的な環境保護の流れに乗り、ハイブリッドカー「プリウス」を発売し、時代を代表する車に仕立て上げた。2000年頃、世界のセレブたちは、こぞってプリウスに乗った。その一方で、「ダイハツ自動車」を連結対象の子会社にし、落ち続けていた国内販売台数もV字回復させた。
1997年、米「ビジネスウィーク」誌は奥田を世界で最も優秀な経営者の一人として選出し、奥田は時代を代表する経営者、“強いトヨタ”の象徴となった。会長になった豊田家の家長、章一郎も、表立って奥田の意見に異を唱えることはなかった。トヨタを代表する顔は、創業家の豊田章一郎ではなく、完全にサラリーマン社長の奥田だった。
創業家に対する厳しい見方
その奥田は創業家である「豊田家」に対して、非常に厳しい見方をしていた。トヨタ社員にとって聖域である豊田家について、公然と批判して憚ることがなかった。
「創業家は創業家として重んじるが、創業家に生まれたからといって、その人間がトヨタの社長になるのはおかしな話だ」
「創業家は尊重する。創業家はいわばトヨタの象徴、つまり“フラッグ(旗)”のような存在が一番望ましい」
創業家は、旗のような象徴的な存在であるのが望ましい。つまり、経営には口を出してはならないというのが、奥田の考えだった。だから、章一郎が経団連会長という公的な存在であるのをいいことに、トヨタの重要行事である全国ディーラー大会、新車発表会に章一郎を呼ばなかったことは、奥田の遠回しの意思表示でもあった。
「章男君程度の社員ならば…」
奥田の視線の先にあったのは、創業家4代目の跡取りであり、将来の社長と目されていた章一郎の長男、章男の存在だった。
「章男君程度の社員ならば、トヨタにはごろごろいる」
「(章男が)社長になれるかどうかは本人のがんばり次第だ。創業家に生まれたからといって、社長になれるものではない」
奥田の意思ははっきりしていた。奥田は、まだひ弱さが残る章男を、評価していなかった。
2001年、その章男を、中国市場を担当する「アジア本部本部長」に抜擢したのは、当時、会長職にあった奥田だった。