第1章では傷つけられた者を守れなかった後悔の罪の意識、第2章では傷を与えた側の罪の意識、第3章は傷つけられた側の罪の意識、そんなものが朧げながら浮かび上がってきたらいいなと思いました。映画を観てくださった皆様にも罪の意識ってなんだろう、どこから生まれてくるんだろうということを話してもらえたら、と。
「傷ついても、人生は続くんだ」
前田 私は完成したこの映画を観たときに、しっかり何があったかということを冷静に教えてくれるけど、感情はいろいろなものが湧き上がってくると感じたんです。だからいろんなふうに考えられて、観る人によってそれぞれ受け取り方が違うだろうと思いました。
三島 そのように観ていただけて、うれしい。傷は全ての方にあると思いますし、観た人の感じ方、考え方に託すものは大きいです。
前田 私はそのテイストがすごく好きです。ギュッと収斂するものではなく、むしろ解き放たれながら、それぞれの葛藤をサラサラ流し込まれてくる感じです。そのままスタートしてそのまま終わっていくのが心地がよかったです。ずんと重たくなって、ああ苦しかったという終わり方にならない。苦しみを描いているのに不思議ですね。
人それぞれに悩みってあって当たり前だし、いろんなことがあったのも当たり前だし。そういうものだよなっていうところに行き着きました。
この人がそういう被害者だということは、話していてもわからないし、仲が良くても知らないかもしれない。家族にも言わない人がたくさんいるのではないかと思います。れいこを演じていても、そういうものなんだろうなということが非常に腑に落ちました。
ひとつの正解があるわけではない。監督の表し方は、とても意味のあるものになったのではないかと思って、参加することができたことがすごくうれしいです。
三島 ありがとうございます。
前田 いえいえ、こちらこそです。
三島 この映画は、100人いたら100通りの受け取り方があっていいと思っています。おっしゃるとおり、誰しもが何かがある。ただ誰にも言っていないし、もしかしたら自分自身も認識してない方もいる。
前田 環境によっては、生まれながらに傷ついている人もいるでしょうしね。
それでも人生は続いていくんだと、先ほど「今が幸せ」なんて言ってしまった私でも思うことがあります。「あれ? これ、いつまでやっていればいいんだろう」とか(笑)。
三島 (笑)。でもわかりますね。