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三島 ラッキーだったんです。出会いがよかったんだろうなって。助監督をしていたときに脚本直しもやっていたので、次第に脚本の仕事が来るようになったんですね。そうしたら東映の小嶋(雄嗣)プロデューサーから、女性の監督をデビューさせるのは現状ではなかなか難しい、脚本家のほうが道は開けると言われて。どうする、どっちをやりたいんだ、と。

 でも監督になりたくてNHKを辞めているので、そのプロデューサーには企画書や脚本を毎回読んでもらっていました。するとしばらくして、いきなり映画は難しいけど、ドラマならということでドラマで監督デビューさせていただき、それを観た方から『刺青』シリーズに声がかかって、『刺青 匂ひ月のごとく』で初めて劇映画を監督させていただきました。

©鈴木七絵/文藝春秋

「北海道で映画を撮ってみませんか?」というお話があり、北海道にはファンタジックなイメージがあったので、企画を出してみたのが『しあわせのパン』(2012)です。それがスマッシュヒットしたことで、10年前から撮りたいと思っていた『繕い裁つ人』(2015)も監督できました。とにかく、いつでも話せるように企画を持ち歩いていました。

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 でも阪本順治監督の助監督になりたくて提出した脚本は、サンダンス・NHK国際映像作家賞で優秀作品に選ばれましたが、いまだに撮れていません。火葬場で遺体を焼く仕事をしている女性の話で、ボクシングが出てくるんですが、オリジナル脚本はなかなか通らなかったですね。

「生まれ故郷の大阪・堂島でいつか映画を撮らなければ、と思っていたんです」

――今回の『一月の声に歓びを刻め』もオリジナル脚本ですが、以前からあたためていた企画ではないですよね。

三島 もともと自分の生まれ故郷である大阪の堂島で、いつか映画を撮らなければいけないとは思っていたんです。でもそこで撮るとなると、6歳のときの体験を避けては通れない。なにを描いたとしても、それがあぶり出されてしまうと思って、なかなか向き合えなかったんですね。

 ところがコロナ禍に、施設に入っていた93歳の母が最後にハンバーグを食べたいと言ったので、家族ぐるみでお付き合いのあった堂島の洋食店「インペリアル」を訪ねたんです。でも残念なことに閉店していて。