1ページ目から読む
4/4ページ目

 誰かに殴られたとか、刺されたとか、身体的に負った傷なら自分自身を責めたりしません。悪いのはただ加害者だけなのに、心に性的な傷を負った場合は、なぜ罪の意識を感じてしまうんだろうって。その後も人生は続いて、ずっと生きていかなきゃいけないのに。

 だから性被害の映画というよりも、被害の経験を入口にして、そんな罪の意識を見つめていく映画にしたかったんです。そしていろいろな角度から見ていけば、罪の意識が多面的に見えてくるんじゃないかと。

 ひとつは性被害に遭った人の罪の意識。もうひとつは被害に遭い、死を選んでしまった人の家族が持つ罪の意識。さらには性被害のような犯罪でなく、人間が生きていくだけで積み重ねてしまう罪――例えばかつて罪を犯した人の子どもをおなかに宿してしまうことへの罪の意識とか、そういったいくつかの目線から罪の意識について考えてみようと思いました。

ADVERTISEMENT

©鈴木七絵/文藝春秋

「結果的にそれは自主映画だった、ということだと思います」

――今回の作品は自主映画として制作されています。商業映画として撮るのが難しい題材だったからですか?

三島 それもあるんですが、企画を提出して、誰かに通してもらうという発想では初めからなかったんですよね。自分たちでとにかくこれを作るんだというところからスタートしているので。伝えたいものを素直に伝える、純度の高いものを作ろうと考えたとき、結果的にそれは自主映画だった、ということだと思います。

 商業映画だと、完成したところで監督の仕事は終わり。世に出るまではなかなか一緒に走れない気もしていたんです。でも最後に出ていくところまで一緒に走れる方法はないかと考えてみて、自分たちの会社で自主映画として作り、最後まで自分たちがかかわって、コピーライトも自分たちで持つ、と。そういう方法を一度試してみたかったんです。

――非常にパーソナルな作品だったということも関係していますか?

三島 関係していると思います。商業映画を作るときはまずビジネスがあって、そこにどう作家性を入れ込んでいくか。もちろん作品によりますが、核の部分がプロデューサーと確認できていれば、あとは半分半分くらいかなと思っているんですね。でも今回はいびつで構わないし、観た人がどう思うか、どこまで伝わるかわからないけど、純度100%のまま自分たちの伝えたいもの、作りたいものを素直に作りたかった。

 だから自主映画になったという部分も大きいです。撮影ではのたうちまわりました。そしてさらけ出しました。いつもそうかもしれないけど、いつも以上に。そうしないと撮れませんでしたね。

撮影 鈴木七絵/文藝春秋