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 馬緤町から20kmほど西にある輪島市の南志見地区でも、道路が寸断されて孤立した集落がある。文化庁の「国指定文化財名勝」に指定されている「白米千枚田」付近でも土砂崩れがあり、2月3日時点でも山道を抜けるのに輪島市の中心部から1時間以上かかった。

 その時点では、最大300人ほどが避難生活を送った「農村環境改善センター」に避難者はすでに1人もいなかった。それどころかこの地区では、倒壊した家はもちろん無事な家にも人がほとんどいない。そんな中、高台になっている場所に、市議会の副議長を務める大宮正さん(73)が今も妻と生活している。

海を見つめる、輪島市議会副議長の大宮正さん

 筆者が訪れた日は、警視庁が行方不明者の捜索をしていた。現場の担当者によると、行方不明者がいる可能性が極めて高いという。

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「つい最近までは兵庫県警が行方不明者の捜索をしていました。捜索しているのは火事があったあたりです。ひっくり返し、ひっくり返し、ひっくり返ししています。結局、どうなっているのかわからない」

「防災無線が鳴るはずなんですが、あの時は壊れて鳴らなかったんですよ」

 震災当日、海岸は地震によって隆起し、今でも船が置き去りにされている。地域の人たちは、津波を避けて山に逃げた。避難訓練でも、山に逃げることが共有されていたという。

海岸が隆起し、漁船が動けなくなっていた

「津波注意報や警報が出たら防災無線が鳴るはずなんですが、あの時は壊れて鳴らなかったんですよ。でも私は何度も津波を経験していたので『津波がくるのでは』と思いました。町のみなさんも、山の方へ向かって避難してきましたね。私の家の近くにも、多くの人が避難していました。ブルーシートを広げて避難所にして、数時間は様子を見ていたと思います」

 津波の被害はほとんどなかったものの、直下型地震だったために、家屋の被害が出た。

「ここも孤立していたので、安全第一を考えました。県議会議員の主導で県と連絡をとり、それで自衛隊に動いてもらって、自衛隊のヘリや車で避難することができました。南志見地区の住人は約700人いましたが、ヘリで150人くらい、あとは車で金沢まで運んでもらいました。グループホーム『鶴の恩返しホーム輪島』にいた十数人も、他の地域のグループホームに分散避難しています」