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――『みごろ』は、キャンディーズがメインのバラエティ番組でした。「悪ガキ一家の鬼かあちゃん」は名物コントになりましたが、蘭さんをはじめキャンディーズのみなさんのアドリブがさく裂していたように見えました。

伊藤 実は、あれも全部台本通りなんですよ(笑)。冒頭の「ズンズンチャーカ、ズンズンチャ」っていう登場シーンも、振付師の西条満先生が振付をつけてくださって、「食べごろよ~」というセリフも台本です。

 コントの中で突発的なことが起こったときにアドリブでリアクションすることもあるんですけど、登場して2階に上がるシーンまでは、しっかり台本を読み込んで演じていました。

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いかりや長介さんには「自分たちが育てて行こうと思った」と言われ…

――番組は、月曜日放映の60分番組でした。撮影はかなり大変だったのではないでしょうか?

伊藤 1か月に2、3回、朝から夜まで3本くらいコントを録っていて。後半のショー部分は別録りでした。朝からかつらをかぶって演じるのは、まんざらでもないといいますか、むしろ楽しんでやっていましたね(笑)。

――『全員集合』での経験が『みごろ』に活かされたことはありましたか。

伊藤 『全員集合』はしっかりと作り込まれたお笑いだったので、そういう中で自分のすべきことをしっかりこなさないといけない、というプロ意識を学びました。それが身に付いていたから、『みごろ』でも台本通りに演じることができたんだと思います。

 ドリフターズの皆さんには本当によくしていただいて、『みごろ』を始めた時、長(いかりや長介)さんに、「なんであっち(みごろ)に行っちゃったんだよー。自分たちが大事に育てて行こうと思ったのに」と言われたのを覚えています。

 

――共演者の方との交流もあったのですか?

伊藤 伊東四朗さんとは、打ち上げの時に歌を歌ったり、話をさせていただいたりしていました。ファイナルコンサートに向けて嬬恋で合宿をしている時には、わざわざ来てくださってペンダント型の時計を3人にプレゼントしてくれたんです。

 解散後は、3人で伊東さんのご自宅に伺ってお茶をいただいたりしました。実は伊東さんのご自宅と私の家が近かったんです。私が交通事故にあった時は、自転車で私の家にお見舞いに来てくださって、母も私もびっくりしました。

 かつらをかぶってコントを演じ、「電線音頭」を踊り、笑いと歌を両立したキャンディーズは、いよいよ人気を不動のものにしていく。『みごろ』が始まった76年から解散の78年までが、最初で最後のキャンディーズの「黄金期」だった。

写真=杉山秀樹/文藝春秋
ヘアメイク=平笑美子
スタイリスト=岡本純子

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