2023年9月1日にデビュー50周年を迎えた伊藤蘭さん。同年7月にはソロサードアルバム『LEVEL 9.9』を発売、8月からは記念ツアーとなる「伊藤 蘭 50th Anniversary Tour ~Started from Candies~」を全国6都市で開催し、大盛況を見せた。
12月には自身初のエッセイ『Over the Moon わたしの人生の小さな物語』(扶桑社)を上梓し、年末の『第74回紅白歌合戦』(NHK)にも出場。華々しい活躍を見せる伊藤蘭さんに、キャンディーズ時代から現在に至るまでの歩みを聞いた。(全3回の2回目/3回目に続く)
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ライバルとして比較されていたピンク・レディーとの関係
1975年、「年下の男の子」のヒットから人気に火が付いたキャンディーズ。歌のみならず、『8時だョ!全員集合』(TBS系)、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』(テレビ朝日系)で多彩な才能を発揮し、人気を不動のものにしていった。
だが、そこに新しいユニットが猛追してきた。
76年、ピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューを果たし、キャンディーズの対抗馬として比較されるようになった。人気音楽番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の番組欄には「激突、キャンディーズVSピンク・レディー」と掲載されるなど、対決を煽られることもあった。
――当時、ピンク・レディーは、意識されていたのでしょうか。
伊藤蘭さん(以下、伊藤) タイプ的に“静”のキャンディーズ、“動”のピンク・レディーという感じで、当時はライバルみたいに比較されていましたけど、私たちは全然、そんなことを思っていませんでした。
私はむしろ、ピンク・レディーはかっこいいなってずっと思っていました。お互いに本当に忙しくて、ゆっくり会う機会はなかったのですが、歌番組で一緒になることが多かったので、楽屋などで少しお話をしたりして。私たちのほうが少しデビューが早かったですし、年齢も上だったので、たぶん気を遣ってくれていたと思います。すごく気持ちのいいふたりでした。
キャンディーズが解散した後、スー(田中好子)さんとミキ(藤村美樹)さんとアメリカに旅行した際、ホテルでラジオを聞いていたら、ピンク・レディーの「Kiss In The Dark」が流れてきたんです。アメリカでデビューするなんてすごいなって思って、みんなで聴いていました。