――昨年、東京国際フォーラムで行われた50周年コンサートでは、ロビーにミー(未唯mie)さん、ケイ(増田恵子)さんの祝花があったので、今も交流があるのかなと思いました。
伊藤 キャンディーズが解散する前、「電話番号を教えてください」って言われたのに、私がミスをして渡すことができなかったんです。
その後、お会いする機会がなかったのですが、私が再デビューする際に見に来てくださって。それから私もミーさんやケイさんのコンサートに行ったりして、あの時代に一緒に頑張った仲間という感じで、今も交流が続いています。
センターのプレッシャーを感じなかった理由
◆
キャンディーズは、解散後にリリースした「つばさ」を含めて、全18枚のシングルをリリースしている。デビュー曲は「あなたに夢中」だが、キャンディーズを世に知らしめたのは「年下の男の子」だった。そして、1978年にリリースした「微笑がえし」では、初のオリコンチャート1位を獲得し、解散に華を添えた。
◆
――蘭さんが、この曲がなければキャンディーズは成り立たなかった、と思う曲はありますか。
伊藤 やっぱり、「年下の男の子」になりますね。この曲で多くの人にキャンディーズを知ってもらい、応援していただけるようになったので。
――この曲から、蘭さんがセンターに立つことになります。
伊藤 確かに、この曲から私がセンターに立ったのですが、私たちにとっては、大きな変化があったという感じではなかったんです。
コンサートでは、スーさん、ミキさん、私がローテーションでセンターで歌っていましたし、たまたまシングルで私の番が来たんだ、くらいの感じでした。センターのプレッシャーとかもそれほど感じてなかったですね。
例えばAKB48のように何十人もいる中でセンターを取るとなると、競争が過酷ですし、ライバル意識も出るのかなと思いますけど、私たちは3人なのでバランスがちょうどよかったと思います。私はそれまで左サイドにいたのですが、真ん中に立つと両サイドにスーさん、ミキさんがいるので、安心感みたいのはすごくありましたね。
特に印象に残っているキャンディーズの曲とは?
――個人的に印象に残っている曲はありますか?
伊藤 私は、「やさしい悪魔」「春一番」「微笑がえし」です。「やさしい悪魔」は吉田拓郎さんに作っていただいた異色の曲でした。コーラスが際立つように、と拓郎さんが考えてくださって、それがうれしかったですね。この時、衣装も含めてガラッとイメージを変えたので、すごく印象に残っています。