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「春一番」はもともとアルバムに収録されていた曲だったのですが、ステージで披露するとファンのみなさんの反応がすごく良かったんです。その声を拾い上げて、私たちからも「ぜひシングルに」とお願いしてシングル化が実現した経緯があるので、すごく印象深い曲です。今もとても盛り上がりますね(笑)。

「微笑がえし」はファンのみなさんのおかげでオリコン1位になれましたし、歌詞の中に過去のシングルのタイトルがちりばめられていて、最後にふさわしい曲でした。

 

キャンディーズはなぜ活動休止ではなく解散を選んだのか

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 多くのヒット曲とコントも軽やかに楽しむ姿勢、そして熱いファンとの連携で一時代を築いたキャンディーズだが、77年7月に解散を宣言。その衝撃から、解散へのカウントダウンが社会現象になるほど盛り上がり、78年4月4日、後楽園球場の「ファイナルカーニバル」でキャンディーズは人気絶頂のまま4年半の歴史に幕を閉じた。

――解散が決まった時、ファンのなかには「活動休止じゃダメなのかな」という声も多くありました。

伊藤 そうですね。大人になった今の私があの立場にいたら、少しお休みをするという選択も考えたと思います。でも、あの時の私は、違う世界に行きたかったんですね。

 ちょうど年齢的に大学を卒業する頃で、みんなはこれから大人の階段をのぼっていくなか、自分たちはグループとしてどこまで行けるんだろうっていう不安が芽生えていました。

3人が抱いていた、「個人の人生を充実させたい」という思い

――グループでの活動を一時休止してソロで活動し、またグループで活動することもできたのかなと思いますが、あの当時は、そういう考えはなかったのでしょうか。

伊藤 当時はなかったですね。将来について考える中、グループでの活動よりも、個人としての人生を充実させていきたいというひとりひとりの気持ちのほうが、強かったんだと思います。

 3人とも芸能界に入って、キャンディーズではない個人としての世界も作っていきたかったんですけど、忙しすぎて実際にはできなかった。そういう不安も解散につながったのかなと思います。

 でも、周りは「なぜ、解散なの?」という声のほうが多かったので、そういうのを耳にすると、「いけないことをしてしまったのかな」「間違ったことをしてしまったのかな」という思いが頭をよぎることもありました。

 

――後楽園球場でのファイナルカーニバルの最後の曲は、「つばさ」でした。ラストソングは、早い段階で決まっていたのですか。

伊藤 決まっていましたね。あの曲が今の自分たちの気持ちを表していて、最後に一番ふさわしい曲だと思いましたし、ひとりひとりが次に向かっていける曲でしたので。あとは、やっぱりファンの方への感謝の気持ちを込めて、という思いもありました。