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未解決事件を追う

長女(25)が4歳下の弟を刺殺、バラバラ遺体を冷凍庫に…きょうだいが生まれ育った“複雑な家庭環境”――平成事件史

長女(25)が4歳下の弟を刺殺、バラバラ遺体を冷凍庫に…きょうだいが生まれ育った“複雑な家庭環境”――平成事件史

酒々井遺体切断事件

2024/03/01

genre : ニュース, 社会

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「母親のことは『あの人』と…」

 麻里は1991年4月に、父と母の間に長女として生まれた。下には次女、そして翔さん、三女がいる。2000年から6人で、のちに事件の現場となる酒々井町の家に住み始めたが、2008年ごろに父親が精神疾患により休職し、自宅で療養生活を送るようになった。自殺未遂を図り救急車で搬送されたこともあるという。

 2011年に両親が離婚し、母親が出て行き、ほどなく三女も家を出て母親のもとへ。一軒家には残された4人で住んでいたが、2014年に父親が死亡し、次女も出て行った。以降、2016年の事件まで、この家に麻里と翔さんとで暮らす。

なぜ姉は弟を殺害したのか ※写真はイメージです ©yamasan/イメージマート

 両親の離婚当時、父親に経済力はなかったが、きょうだいは4人とも、母親と一緒に家を出ることを拒み、父親との一軒家での暮らしを選んだ。かねてからの母親の虐待行為が少なからず関係していたようだ。母親は子供たちが小さい時から体罰を加えており、特に翔さんに対しては顕著だったという。生前に翔さんからこれを聞いていた元交際相手は法廷でこう述べた。

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「母親のことは『あの人』と呼んでいました。ご飯を作ってくれないとか、掃除機で叩かれたとか、小さい時は頻繁に暴力を受けていたと言っていました」

叔父の証言

 母親の弟であり、麻里や翔さんから見れば叔父にあたる男性も調書でこう語る。

「姉は麻里や翔くんなど子供たちに対して、理由はよく分からないがよく怒っていた。次女と翔くんはよく怒られていて毎回ではないが頭を叩かれたりしていた。自分の母からは姉のことを『一番育てるのが大変だった。アイロンで椅子を壊したり、タンスを壊したり、モノに当たって大変だった』と聞いている。

 子供達は姉を嫌っていたと思う。離婚した時も自分についてくると姉は思っていたらしいが、実際は誰もついて行かず、父のもとに残った。父親が亡くなっても子供達は姉に連絡することなく、葬儀の手続きを自分たちだけでやった。『たまに電話しても出てもらえない』と言っていた」

 学生時代にマイケル・ジャクソンのモノマネをした麻里を「マリケル」と名付けた同級生も、麻里が学校に持ってきていた弁当に強いインパクトを受けたと調書で述べる。