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 小田さんは、「みんなも駆け抜けたんだ」と言った。 

 その言葉を聞いて、私は絶句してしまった。

鈴木康博への思い

 オフコースから離れた盟友・鈴木康博さんは、確かにその後も、真摯に音楽に取り組み、現在に到る。音楽に賭ける熱量は小田さんと全く同じだ。現在も新曲をつくり、全国をまわり、ライブ活動を続けている。頑ななまでに自分たちの音楽の理想を追っていたこの二人は、この40年間、会うことはなかったが、二人はそれぞれの音楽の道を、それぞれがずっと駆け抜けている。小田和正さん自身が、そう想っているのだと、私はその時、ようやく気がついた。

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「みんなも駆け抜けたんだ」という言葉が、いつまでも、頭から離れなかった。

 同時に、鈴木さんが離れていったこと、つまりはオフコースでの挫折(と言っていいと思う)が、小田さんにとって、どれだけ辛く、大きな出来事だったのか、今更ながらに、思ったものだった。もっといえば、オフコースでの経験が、うれしいことも辛いことも、小田和正の以降の楽曲の核にあるのだと思い至ったのだった。評伝を書く前には、そのことはわかっていなかったように思う。

 初めて小田和正さんを取材した時から早くも20年近くが経つが、知らないこと、気がつかないことが、本当にたくさんあるのだと、最後の最後までそう思わせられる、そんな作業だった。

 評伝では、後年の音楽家・小田和正を創ったと思われる少年時代の取材にも力を注いだ。実兄はもちろん、叔父、はとこの方にも取材し、2、3歳の和正君が惹かれた世界が見事なまでに後年の小田和正さんを形作っていることに驚きもした。言葉をかえれば、小田さんはご自身の感性のままに、つまり時代や流行りにあまり影響されずに、生きてきた。そのことが小田和正の強さであり、時に大変さでもあり、さらに息長く支持されている理由のように思われた。

小田和正の素顔

 ところで、一見、穏やかそうだが、その人物の中身は頑固、外柔内剛、だろうか。初めて雑誌で小田和正さんを取材したあと、ファンクラブ会報誌『PRESS』に取材の感想を書くことになった原稿のなかで、私はこんなことを書いている。なかなか失礼な文章でもある。

©FAR EAST CLUB INC.

「それにしても小田さんには対極的な面をいくつも感じたものでした。無口なようで饒舌、偏屈なのに剽軽、頑固なのに柔軟、繊細なのに剛毅、スタッフによれば『冷静だけど短気』なのだそうですね。もうひとつ加えると、私は、優しくて意地悪、という印象ももちました。意地悪なんて、ファンの人には怒られそうだけど、とっても優しい反面、意地悪な印象もあったな。もっともそれは大人の意地悪とはちょっと違うのですね。いうなれば勉強もできてスポーツもできる正義感も強い、そんな恵まれた少年が身内にもっている棘のような意地悪さとでもいうのでしょうか」

 さらにこうも書いている。