1970年、オフコースとしてデビューし、音楽の道を究めて半世紀。シンガーソングライターの小田和正は、76歳になった今もなお、透き通るようなソプラノボイスで聴衆を魅了し続けている。

 ここでは初の評伝『空と風と時と 小田和正の世界』(文藝春秋)の著者・追分日出子さんが、長年にわたる密着取材の日々をふりかえる。

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 元日放送予定から延期になっていた小田和正さんの「こんどこそ、君と!! 小田和正 ライブ&ドキュメント 2022-2023」(NHK BS)を観た。2022年、2023年の全国ツアーを小田さんの楽曲と印象に残るMCで繋いだドキュメンタリーである。なにより懐かしかった。自分も、ずっとここに参加していたのだなあと思った。

 最初の地・福島県郡山でのゲネプロ時に漂っていた緊張感。小田さんの声がきれいに出て、スタッフの間に安堵の明るさが漂いだしたツアー初期。さぬきの野外音楽広場テアトロンでの感動的な舞台。一転、小田さんがコロナに罹患し、再び、不安が漂ったこと……、結果的には、復活した小田さんの声は、それ以前よりも澄んで力強かった。さらにこの年でツアーは終わりと思っていたのに、翌年にも追加公演が組まれ、その2023年のステージは、一層力強くなり、スタッフコーラス隊も表に出て、観客も一緒に歌えるようになった。

小田和正 ©FAR EAST CLUB INC.

 そんな全国ツアーにすべて同行し、それを終えた昨年11月下旬、小田和正さんの評伝『空と風と時と 小田和正の世界』を上梓した。発売前予約でいきなりアマゾン書籍総合第1位、発売20日で5刷となり、小田ファンの熱さに改めて驚いたものである。

初取材は2005年

 私が小田和正さんを初めて取材したのは、2005年、『AERA』の「現代の肖像」で約4ヶ月、全国ツアーにも同行した。小田さんは50代後半だった。人見知りでシャイな人と感じた。当時、驚いたのは、人前で歌うことが実は苦手だということだった。音楽の求道者であっても、エンターテイナーではなかった。「以前は舞台上で、肩より上に手を上げることもできなかったんだよ」という言葉が強く印象に残った。

 そんな小田さんは、当時、「等身大」なる標語を掲げ、自分を変えようとしていた。その言葉には、「自然体」という意味と同時に、「上げ底のない自分を見せる」との思いもあった。

初の評伝『空と風と時と 小田和正の世界』(追分日出子 著、文藝春秋)

 取材が終わり、小田さんから「真面目に硬く書くなよ、 面白可笑しく書けよ」と言われたのに、私は真面目に硬く書いてしまった。面白く書けなかったとの悔いが残った。同じ企画で、中森明菜さんや美術家の村上隆さん、作家の橋本治さんなど、癖のある人物は得意だと少し自負していた。そんな私にとって、小田さんは造型しにくい人物だった。癖があるようなないような、器用そうで不器用な。

 そして当初、私は小田さんの暗さが気になっていた。いや、私が勝手にそう思っただけ、誰もそう思わないようだった。たしかに「子どものころ、コンプレックスありましたか?」と訊くと「なかったよ」。そりゃ、そうだろう。勉強はできる(東北大工学部建築学科を経て早稲田大大学院卒だ)、運動神経は抜群、歌だけでなく絵もうまい。結局、小田さんに薄く纏うように思えた暗さは私の思い込みだったろうか、そう思っての取材終了だった。