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 25歳のとき、もっと厳しい環境で自分を成長させなくてはいけないと思い詰めた結果、待遇にも人間関係にも恵まれていた、すごく居心地のよかったGMOを辞めて、転職をした。

がんばると心がすり減る

 転職先は、前職と同じIT業界で、かつ、外資系の大企業だった。

 寝る間も惜しんでバリバリ働くことになるんだろうなというのが、私の外資系の会社へのイメージだった。

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 でも、ここでがんばって認められれば、世の中に影響を与えられるような大きな仕事ができるかも。誰もが名前を知っているようなすごいサービスを作れるかも。そんな希望と野心があった。

 でも、入社してみると、想像とはぜんぜん違った。

 そこは、良くも悪くも大企業らしかった。作業は分業化されていて、新規事業もどこの部署が担当するかの交渉・調整で短くて数か月、長くて1年かかることもあった。

 仕事を得るためには、デザインのスキルとはぜんぜん関係ない政治力が必要だった。

 ある日、上司が急に会社を休んだため、することがなくなった私は、別の上長に「なにかできることはありますか?」と聞いてみた。

 するとこんなことを言われた。

「そういうことは言わないほうがいい。君の上司が無能だと思われるよ」

「は? じゃあ、終業時間まで黙って座ってろっての? それ給料どろぼうっていうんじゃね?」と思ったけれど、口にはできなかった。この会社への興味がどんどん薄れていくのを感じた。

 GMOというベンチャー企業で、意見をどんどん言うこと、新しいことに挑戦する楽しさを感じていた私は、完全に職場で浮いていたのである。

 新しいプロジェクトを進めても、社内競争に負けて、最終段階で担当が代わってしまうこともあった。社内の人間関係にくたくたになっているうちに、自分がやりたかったことを他社がすでにはじめてしまって悔しかった。

 たくさん働いて、たくさん結果を出して、たくさんお給料をもらおう……。

 そのサイクルで支えられていた私の自尊心は、自分では意味を感じられない雑事に振り回されてどんどんすり減っていった。

衝撃の失恋

 私がそんな仕事の悩みや不満をぶつけていたのは、当時の恋人だった。

 彼も同じ業界の人だったから、話をよくわかってくれた。彼に話を聞いてもらうことで、私はなんとか日常を保っているような感じだった。

 そんな彼にある日突然、別れを切り出されたのだ。

「君は自分のことばかりだから、もう一緒にいられない」というようなことを言われた。

 私にとってそれは、好きな人から拒絶される初めての経験だった。

 実は、そのころの彼は、仕事のストレスで10キロも痩せてしまっていたという。