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 生理が止まるなどというわかりやすい不調もなかったから、私自身も「病気である」とか「治さなくちゃいけない」という危機感がなく、治療を受けるまで12年も放置してしまったのである。

 そこでまずは、過食嘔吐がはじまってからの私がどう過ごしてきたか。どうやって治療に辿り着いたかを、お話ししておこうと思う。

自力でパソコンを買い、ウェブデザイナーとして就職

 大学受験の直前、私は親から学費を払えないと言われた。だから、目指していた美大の受験をあきらめた。

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 それで、高校卒業後は、祖父母の建てたビルの一角でひとり暮らしをさせてもらい、いくつかアルバイトを掛け持ちして、必死でお金を貯めた。デザインの仕事に興味があったからパソコンが欲しかったのだ。

 パソコンを買うことが、お金も学歴も持たずに社会に放り出された18歳の私が、ただひとつ持つことのできた目標だった。およそ半年で貯金は60万円ほどできた。

 そして21歳のとき、運よく、インターキュー(現・GMOインターネットグループ)で、ウェブデザイナーのアシスタントに採用された。高卒のコンプレックスもあって、寝る間も惜しんで働き、必死で仕事を覚えた。その甲斐あって、正社員になることができた。

 当時、IT業界は上り調子だったし、ウェブデザイナーという職業もできたばかりといろいろタイミングが良かったのだと思う。数年後には、大卒の社員よりも多いお給料をもらえるようになっていた。仕事でも評価をしてもらい、ひとりで生活するのにじゅうぶんな収入も手に入れた。

 でも、生活の安定とは裏腹に、過食嘔吐の習慣はなくならなかった。

 どんなに生活がうまくいっても、私の中から漠然とした不安が消えることはなかったからだ。

 

厳しい環境を求めて転職

 社会人になった私に、母は定期的にお金を無心してきた。

「必ず返す」という母の言葉を信じたくて、いつも貸してしまった。けれど、いつも、そのまま無視されるか、返してもらうまでにすごく時間がかかった。返せない理由を聞くと怒りだすから、母がなぜそんなにお金に困っているのかもわからなかった。母からのお金の要求がいつまで続くのだろうと考えると、すごく息苦しかった。

 職場では、大学に行けなかったというコンプレックスが消えなかった。

 自分がすごく普通で、特別な才能があるわけではないことに焦っていた。

 そういうものがごちゃごちゃに混ざり合った不安が、いつも心の中にあった。

 思い返せば、子どものころから、私には安心というものがずっとなかった。

 自分が生き残るためには、もっとがんばらないといけないといつも思っていた。

 がんばりが足りないから不安なんだと思い込んでいた。