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《ところで先日、本紙コラム「月曜手帳」で、タレント・プチ鹿島さんの「地方紙論」に触れたところ、本人はとても喜んでいたようだ。私も人から話題にされると非常に喜び、そのことを何度も何度もコラムのネタにする。まあ、鹿島さんの同類である。》(北國新聞2月23日)

 このあと「文化には感情を揺さぶり、生きる勇気や希望を与える力がある」という馳浩知事の文化への発言について自分は賛成だけど「鹿島さんはどうかな?」と書いているのだが、これが「新聞」の「主幹」のコラムというからしみじみした。私がこの文章から感じるのは、知らず知らずに権威を笠に着てしまっている人の姿だ。

石川県金沢市にある北國新聞社本社ビル ©時事通信社

 たとえば「週刊新潮」は北國新聞についての記事で、

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《石川県のメディアを牛耳る同社は、取材対象に不満があれば過去の関係性など気にせず平気で紙面を使って揺さぶりをかけてくる、試合巧者なのです》(2月8日号)

 という地元の声を載せていた。たしかに今回も「石川県内では効果絶大の“けん制”も、県外や全国メディアには全く及ばないので、相当焦っているのでは」とは北國ウオッチャーの声だ。

私の反省

 ただ私の側も北國新聞についてもっとよく知らなければいけないという反省もある。

 会員制雑誌「選択」2月号に『弛んだ保守王国と共犯「北國新聞」』という記事があった。その中で「県政と地元メディアの癒着体質」として、

《石川県政に圧倒的な影響力を持ち、一時期を除き中西、谷本と蜜月関係を維持していた北國新聞》

 とあった。「中西、谷本」というのは馳知事以前の知事たちのことだ。中西知事時代は昭和38年からだから蜜月はそれ以降ずっとということになる。