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全てが新鮮だったカナダでの生活

ーー結婚されたのはいつ頃だったんですか。

吉野 結婚したのは29歳の頃。34歳の頃には夫の母がカナダで暮らしていたんですが、その介護もあって夫婦でカナダに渡りました。夫もバンドマンですし、お互い世界で活躍するという夢を一緒に見に行こうっていうのもあったので。住んでいたのはカナダのブリティッシュコロンビア州というところで、私は大学のイングリッシュコースを受けました。

 また「フェニックスコード」という、声にならない声、発信したいけどできない存在の代わりにメッセージを作品を通して伝える社会啓発的なプロジェクトも2人でスタートさせました。

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©橋本篤/文藝春秋

ーーカナダでの生活はどうでしたか。

吉野 全てが新鮮で。最初英語でバスの運転手さんに「このバスは大学まで行きますか?」って尋ねることも新鮮。本当に全部細胞が若返っていくみたいな。もう全部取り戻すような感じでした。

 クラスメイトも20歳のメキシコの学校から来てる子で。私はそのとき30歳半ばでしたけど間違った英語を教えてくれたりとか、もうすごく本当にフレンドリーにしてもらって。それにみんな日本が好きなんですよ。日本の漫画やアニメがどうだとか話してくれて。

 ある時、メキシコ人の子が友達とFaceTimeをやっていて、「今、隣に日本人のクラスメイトがいるよ」と言われたんで「ハーイ!」ってやったんです。そうしたら、電話の向こうのメキシコ人のお友達が「今のサヤカ・ヨシノだよね」って驚いて。メキシコで日本の映画が人気で、その友達は私が出演した映画「病葉流れて」を見てくれていたんです。すごく驚きました。

©橋本篤/文藝春秋

ネットドラマのオーディションを受けるタイミングで妊娠が発覚

ーーそれは役者としてはすごく嬉しいですね。

吉野 カナダに行ったことで、また10代の頃のハングリー精神を思い出して「こっちでも役者として頑張るぞ」となりました。実際サンダンス映画祭に行って、人脈作りだったり、向こうで映画はどういうふうに作られていくのかとかレクチャーを聞いたり、もう本当に仲間として一緒に味わわせてもらって。

 初めて知り合った監督に是枝監督の「幻の光」「ワンダフルライフ」に出ているって話をしたら、「『ワンダフルライフ』? 映画を勉強する学校のクラスの題材だった。その女優さんだったの?」と驚かれて。海外では自分のことなんて全く知られていないと思っていたのに、出演した作品が勉強の題材にまでなっている。こんな世界があったんだってもう本当に嬉しくって。