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なぜ大谷は不可能と言われた二刀流を実現しているのか?

求められるものの幅が、僕の場合は広い。
投げて、打っていますから。
だから、基礎は大事になってくると思いますし、それがわかっている分、毎日練習をしたくなる

(「道ひらく、海わたる」P279)

 第5回WBCにおいて、大谷翔平がアメリカとの決勝戦でブルペンとベンチの間を行ったり来たりする姿がありました。大谷は日本代表の3番バッターとして打席に立ちながら、試合を決める場面ではリリーフに出る予定もあったからです。その姿を見ながら二刀流としての準備の難しさを感じた人もいるのではないでしょうか。

 あるいは、メジャーリーグでは登板した翌日にもDHとして打席に立ちますが、これなどもかつての常識では考えられないことです。先発した投手は次の登板までにある程度の間隔を開けており、日本の場合、翌日はリカバリーにあて、次の日を休日、そして次の日からブルペンでの投球にあてることが一般的ですが、大谷の場合、先発した翌日も打席に立ち続けるわけですから大変です。

 休みなく試合に出続けること、休みなく練習を続けることの大変さについて聞かれた大谷はこう答えています。

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「根本的に僕はアスリートとしての体力は必要だと思っています。求められるものの幅が、僕の場合は広い。投げて、打っていますから。だから、基礎は大事になってくると思いますし、それがわかっている分、毎日練習をしたくなる」

「日々練習、日々継続」こそが不可能と言われた二刀流を可能にしているのです。

©文藝春秋

大谷の父親が息子を特別扱いしなかった理由

息子である自分が試合に出るためには圧倒的な実力がなければいけない

(「道ひらく、海わたる」P89)

「親の七光り」という言い方があるように、人気や実力、地位のある親を持つと、その子どもが同じ道を歩むのはなかなか大変です。何をやっても「親の七光り」と言われ、実力が正当に評価されないという、そんなつらさを味わうことも少なくありません。

 大谷翔平の父親・徹は三菱重工横浜で社会人野球のプレイヤーとして活躍した後、地元の岩手に帰り、トヨタグループの関東自動車工業に就職しています。社会人野球の経験者だけに、大谷が所属した水沢リトルリーグでは父親が監督を務め、一関リトルシニアではコーチを務めています。