戦後の混乱期、東京には“マフィア・ボス”と呼ばれる、あるイタリア系アメリカ人がいた。名をニック・ザペッティという。日本の裏社会で成り上がった、その破天荒な男はいかにして巨万の富を築き上げたのか。

 ここでは、ジャーナリストのロバート・ホワイティング氏の著書『東京アンダーワールド』(角川新書)の一部を抜粋。ニック・ザペッティが東京のヤミ社会に残した歴史の一端を紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)

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新会社ランスコを設立

 ニック・ザペッティという男が、つぎつぎとヴェンチャー・ビジネスを手がけ、東京のヤミ社会にユニークな歴史をきざむことになるのは、まさにこのころからである。

 まず、第八軍のスタッフに賄賂をにぎらせ、商品を軍関係者に合法的に売る権利を獲得。1950年の終わりには会社を設立し、西銀座の大通り沿いに、鉄筋コンクリート二階建ての店をかまえた。そこには、ドラム缶からもくもくと吐き出される煙に混じって、軍人や露天商がひっきりなしに出入りした。

 新会社の社名は〈ランスコ〉。ザペッティと新しいパートナーたちの頭文字を寄せ集めた名称である。

 パートナーの一人は、酒盛りと高級車に目がないロシア人コミュニスト、レオ・ヤスコフ。ニックがCPC(民間財産管理局)時代に知り合った男だ。

 もう一人は、事業家肌のアメリカ陸軍中佐、アル。こちらは、会社が操業を始めてまもなく、祖国に転属になった。

合法、非合法の手段を問わず…

 ヤスコフは30代前半の無国籍ロシア人で、両親がロシア革命を逃れ、神戸に落ち着いたときに生まれている。戦後の日本に住んでいた500人あまりの白系ロシア人のひとりだが、日本語の読み書きにかけては、そこらの日本人よりよほどうまい。熱心なマルキストであると同時に、抜け目のないひたむきなビジネスマンで、複雑な利益計算を、あっという間にはじきだしてみせた。

 ランスコのビルの一階には、じつにさまざまな商品が展示されている。缶詰、乾燥食品、シルク、ウール、ロンドンから輸入したツイード。〈ギブソン〉の冷蔵庫、〈サーヴォ〉の料理用コンロといった電化製品や金物類も並んでいるし、〈ケイプハート〉の蓄音機など、贅沢品もそろっている。合法、非合法の手段を問わず、PX(駐屯地売店)から入手した商品だ。

 この商売だけでもかなりの収益があったが、じつは一階の店は、さらに重要な取引きからMP(編集部注:憲兵)の目をくらますためのダミーにすぎなかった。