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肉切り包丁で腹をえぐられ、電車の線路に縛りつけられる…戦後の闇社会で起こっていたヤクザたちの“抗争のリアル”〈力道山もひと暴れ〉

genre : ライフ, 社会

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 ピザ事件は、これで決着がついた。ザペッティの機嫌を損ねた店が、この界隈にほかにも二軒あったが、いずれもリキが勝手に「嵐を起こすべきだ」と判断。けっきょく、“嵐”の被害にあった三軒の店が、六本木から姿を消している。

経営者の金遣いをめぐった確執

 1959年には、別の事件が発生した。東京の西の郊外にある横田基地の前に、ニコラスの支店をオープンしたときのことだ。

〈ニコラス〉横田店は、派手に飾りたてた大きな白いコンクリートのビルで、広い駐車場を完備し、きらびやかなネオンサインもある。広い店内には、赤と白のチェックのテーブルクロスが、海のように広がっている。開店早々、ピザに飢えた基地の兵隊たちが、ガールフレンドを伴って連日のように押し寄せた。退屈している駐留兵の妻たちも、基地の外の日本人ボーイフレンドを連れてやってきた。

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 もともとは、共同事業としてスタートした店だ。ザペッティが土地を買ってビルを建て、日本人パートナーが日々の操業を引き受けていた。

 しばらくは順調にいっていたが、やがて、横田店の経営者の金遣いをめぐって、両者のあいだに確執が生じるようになる。

 決着をつけようと、横田へ出かけていったザペッティは、日本人パートナーの代わりに地元のヤクザに出迎えられた。白ずくめの服装をした、長身のやせた男だ。白いサマースーツに、白いシャツ、白いネクタイ、白い帽子。靴まで白に統一している。まるで『アンタッチャブル』から抜け出したかのようだ。当時『アンタッチャブル』は、日本語に吹き替えられ、テレビでさかんに放映されていた。

ヤクザの専門用語を乱発した“話し合い”のはじまり

 日本版フランク・ニッティは、あいさつの言葉もなしに、ニックに通達した。――これからは、田無の組が横田店を仕切ることになった、と。

 ニックは力道山に相談した。力道山は町井(編集部注:戦後の暴力団組織〈東声会〉の組長)に相談した。町井はさっそく、田無のヤクザのボスと、翌日に面談する手はずを調えた。

 翌朝十時、東声会の組長は、十数人の組員を引き連れて、ニコラス横田店に踏み込んだ。組員はみな背が低く、頬がこけ、顔色はやけに青白い。一様に黒っぽいバギースーツ姿で、手に手に拳銃やナイフをひっさげている。いずれもものすごい形相だ。

©AFLO

 一行は大きなテーブルに席を占め、相手のメンバーと向かい合い、話し合いをはじめた。“話し合い”という言葉が適当かどうかはわからないが。ヤクザの専門用語が、ドスの利いた声で乱発され、相手に指をつきつけたり、啖呵を切ったりするしぐさが、頻繁にはさまれる。いったいどんな話が交わされているのやら、ザペッティにはちんぷんかんぷんだ。

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