“鉄砲玉”と喧嘩になった組員が肉切り包丁で腸をえぐりとられ…
ついに東声会のボスが、妥協案を出した。
――ミスター・ニコラがパートナーに相応の金を払って店を買い上げる、というのはどうだろう。その線でそれぞれ一晩考えてから、結論を出そうじゃないか――
翌朝、双方は合意に達した。
――日本人パートナーは店を売り、田無のヤクザはナワ張りを明け渡す。ニックはニックで、東声会に礼金を払う。東声会はその金を、田無の“若いもの”への見舞金として、その母親に渡す――
田無の19歳の組員は、前夜、横田市内のバーで、町井一家の“鉄砲玉”と喧嘩になり、肉切り包丁で腸をえぐりとられていた。
日本は、和を大切にする国である。ビジネス上の決断を下す前に、数週間、ときには数ヶ月もかけて、会合やら採択やらをくり返さなければ気が済まない。それを考えれば、今回の決定は異例のスピードだ。
横田での出来事は、東京に急ピッチではびこりつつあるヤクザ抗争を象徴していた。
ゆすり、暴行、盗難の発生率が急上昇
国家警察の追跡調査によれば、組バッジをつけたヤクザの数は、驚異的に増えている。戦前には数千人だったものが、1951年には5万6000人に達し、50年代の終わりにはその四倍にふくれ上がった。犯罪組織のメンバーがこれだけ増えたことは、日本史上、例がない。なにしろ、アメリカン・マフィアの数倍だ。
日本経済の異常なほどの急成長によって、バーやナイトクラブが腐るほどオープンしたことが、要因の一つだといえる。ベビーブーム世代が大人になって、新しいタイプの非行が蔓延したせいもあるだろう。
必然的にナワ張り争いがあちこちで展開されるようになり、暴力抗争の波がどっと押し寄せた。「血で血を洗う」というヤクザたちのモットーを、文字どおりに受けとめた死闘である。
渋谷の安藤組の幹部は、ライバルの暴力団員が落としたタバコの箱を、うっかり踏みつけたとたんに、肉切り包丁で腹をえぐられた。その報復として、新宿のヤクザの“鉄砲玉”が電車の線路に縛りつけられた。朝一番の通勤電車と、身の毛のよだつようなご対面をさせるためだ。浅草の暴力団の組長が、真夜中の墓地の銃撃戦で殺られると、夜明け前に上野の駅頭でマシンガン戦争がくりひろげられ、相手の組員が殺された。
ゆすり、暴行、盗難の発生率が急上昇した。
のちに東京は、「世界でも指折りの安全都市」という評価を得ることになる。しかし当時は安全にはほど遠く、マスコミはこの急成長した歓楽街を〈犯罪の温床〉と呼び、〈真夜中に街なかを歩くのは、どんな人間にとっても自殺行為に等しい〉と説いた。当局がラジオを通じて、国民にこんなアピールをしたほどだ。