六本木や赤坂近辺の“用心棒役”を東声会と住吉連合が争うように
――家に侵入した泥棒の武器にならないように、包丁はつねに隠しておきましょう――
東京の焼け跡に始まった住吉会と東声会の抗争も、ますますエスカレートしている。
東声会よりも歴史の古い住吉会は、今や8000人のメンバーを抱え、相互にゆるい連携を保ちながら十二の下部組織に分かれて、首都圏に広く分布。なかでも北部の組織は、東京湾岸一帯に幅をきかせていた。7000人のメンバーをかかえる稲川会は、横浜と横須賀の港以南を制覇していた。
一方の東声会は、西銀座を席巻して以来、1500人のメンバーを擁するまでに成長。今や住吉会と、六本木・赤坂界隈のナワ張りをめぐって、はげしくしのぎをけずっていた。
東京の活動の中心が西へ西へと移動するにつれ、六本木や赤坂近辺はにぎわいを深める一方だ。次々に新築されるマルチフロアのコンクリートビルの中に、雨後のタケノコのように小さなバーが誕生している。そうしたバーの“用心棒役”を、東声会と住吉連合が争っていたわけである。
〈ニコラス〉はあいかわらず不穏な状況に置かれていた。
1961年のある晩、その男のバックには、住吉連合系の十二人の若い衆がついていた。一人の男が店にやってきて、大量に飲み食いしたあげく、代金を踏み倒そうとした。
「六本木はおれたちのナワ張りだから、店を護ってやる。そのかわり、ただで飯を食わせるのは当たり前だ」
彼らはアメリカ人オーナーにそう豪語した。
事件はさらなるトラブルへと発展
ザペッティはこう言われて黙って引っ込んでいるような男ではない。海兵隊ではボクシングでならしたし、ニューヨークの裏道で喧嘩のしかたも身につけている。
「おもてへ出ろ」
ニックはクールにそう言って、道路の向かいの駐車場に導いた。一対一でやっつけたか、全員まとめてだったか……いずれにせよ、彼らはほうほうの体で逃げていった。
またたくまに噂が六本木じゅうに広まった。やられたのが、悪名高き住吉連合の小林会に属するチンピラだったからだ。翌日、リーダーの小林楠扶が謝罪に訪れ、代金を支払っている。
しかし、事件はおさまるどころか、さらなるトラブルへと発展した。ほんの一ブロック先の、町井一家の幹部が経営するクラブの外で、とうとう刃傷沙汰が発生。この戦闘で、金子という名の東声会の“鉄砲玉”が、左手首から先を切り取られた。警察が駆けつけたときには、手首が近くの歩道に転がっていたという。コチコチと時を刻む腕時計をつけたままで。
安心できるビジネス環境とは、お世辞にもいえない状況だった。