片田舎の女子高生が校長室に突撃!?
ですから私はちょっと昔語りになるんですけれど、私が一番初めに編集さんという方と出会ったのは16歳の頃、高校生のときでした。この群馬の片田舎の女子高生だった私は、ずっとプロにはなりたいと思っていたんですけれども、なかなか芽が出ず、新人賞に応募しても1次選考で落ちてしまう。そういう中で自分はどうやったら、作家を一生の仕事としていけるだろうというふうに悩んでいました。
そんな中で、開校記念式典にやってきたのが、文藝春秋の女性編集者の方であり、高校のOGの方でした。私は当時からプロになりたいプロになりたいとずっと言ってたので、友人たちが「せっかくなんだから行っておいで」「こんな機会はめったにないよ」と背中を押してくれて、帰りの会も部活も全部さぼって校長室に突撃し、「すいません、私はプロになりたいんですけど、どうしたらいいんでしょう? このままではなれる気がしないんです」って縋りついたんですね。
そしたらちゃんと話を聞いてくれて、夕飯にも連れ出してくれて、「そんなに(作家に)なりたいんだったらば、1回原稿送ってきて」と言ってくれたんです。その原稿もちゃんと読んでくれて、当時、原稿の書き方すらよくわかってなかったので、特殊なルールだったりをちゃんと教えてくれて、手直しもこうした方がいいというふうに、初めてプロの添削を受け、私は松本清張賞という賞に1回応募しました。
その時は最終選考には残れませんでしたけれども、その一歩手前までは行けた。それをきっかけにして、この文藝春秋の他の編集者の方も私を気にかけてくれるようになり、その後いろいろとまた勉強し、書き直し、その3年後に松本清張賞のリベンジで、ようやくプロデビューに至ったという形になってます。
当時、私がデビューしたのはやっぱり若かったのでいろいろと心配もされたと思うんです。私が12年間、プロとしてやらせていただいた中で感じていたのは、この私の関わった編集さんたち――主語が大きくなって「文藝春秋では」とかいう風に言うと語弊があるので、あえて「私に関わってくれた方たち」というふうに言わせていただきますけれども、担当さんたちはこの若い作家、ある意味無名であった女子高生を一人の作家として育てようという気概があったと思います。そしてプロになってからも、この若い作家が潰れないように、リスペクトを持ちながらも「守ろう、育てよう」とそういう姿勢があったと思いますし、私はその中で実際に育てていただいた、というふうに思っています。
本を皆さんに届ける、面白いと思ってくれる人たちに届けるという過程において、私が把握していないくらいたくさんの人が関わっています。クオリティを維持して商品として本を出す。作家にとって自分の作品に価値があるというのは、言うまでもないことです。しかし、それを他者にとって、読者さんにとってお金を出してでも読ませたいと思わせるような、そういうクオリティのあるものを継続して出すということには、やはりプロの人たちの目が、そして手が入る。その協力を得て、作家は自分で、しかし自信を持って「これは私の作品である」と誇りを持って世に出します。
そしてそれを本当に面白いと思ってくれている方に届けるための営業さんだったりとか、書店員の皆さん、あるいはメディア展開で、コミカライズの方、美しい絵を描いて装丁にしてくれる方、デザイナーの方、出版社の本当にいろんな方、印刷所の方、本当にたくさんの方が関わっていて、私はそこに大変恵まれたことで今回受賞に至ったと思ってます。ですから、本当にいろいろな方にありがとうございます、とお伝えしたいですね。
だからこそ、この受賞に関しては、一番私が強くお礼を言いたい、功績者であるというふうに思うのは、この十何年間、この若造の作家を守ろう、育てよう、不調な時には叱咤激励し――いや違いますね、不調な時に叱咤激励してはまずいですよね(笑)。好調な時には叱咤激励し、不調の時には必ずあなたの味方です、と寄り添ってくれた方々がいたからこそだと思います。そしてその姿勢を評価していただいたことで、今回の受賞に繋がったというふうに思っています。ですから、私は今回の受賞はその皆さんを代表していただいたというふうに考えています。