でも今は、必ずしも普通であることが正解ではないということが分かった。今いる世界を見渡してみれば、普通と呼ばれるのはヒエラルキーの中に存在している状態で、そこからはみ出すことが悪いことだと考える人も多い。そして僕が101席のピラミッドの上を目指すことが目標だったように、社会のピラミッドの上を目指すことが正解と思っている人もいる。ただ僕はミッションを進めるごとに、どんどん数字や普通に囚われ、目的が何なのか見失いかけた。そんな時に気付いたのは、今起こっている状況を楽しんでみる、楽しむことに本気になってみることだった。
そういった意味で本当の「本気」を見つけた僕は、自然と自分と向き合う時間が増え、最終的に順位とは別の曖昧でない結果を勝ち取ったのだ。もちろん悔しさは十分にあったけれど、それも含まれた清々しさだった。
オーディション番組参加者がハマってしまう“沼”
サバイバルオーディションの良くも悪いところは、参加者が芸能界のさわりを体験できるところだと思っている。有名な音楽プロデューサーが作曲し、人気のコレオグラファーが作った振付を、実際の音楽番組で使用される舞台セットやカメラの前で歌って踊れる。資本がある会社を除いて、素晴らしいチームが作った作品を歌い踊れるチャンスはそう多くない。そして一般的なグループはデビューしてからカメラの見方を覚え、芸能界での礼儀や立ち回りも少しずつ覚えていく。だからアイドルを夢見る子たちからすればとてもありがたい環境であるといえる。
同時に、街中に番組の広告が張り出され、街を歩けば気付かれることも増えるので、まるで自分が芸能人になったかのような気分になれる。この沼にはまってしまい折角の努力を水の泡にしてしまう人たちもたくさん見てきた。承認欲求の強すぎる人がこの沼にはまってしまうことが多いが、それは簡単な話、愛の枯渇からくるものだろう。皆が皆そうではないし、承認欲求が一括りに悪いとは思わないが、芸能人はある程度そこから入っている人が多い。
同じ夢を持つ同志がいる環境で練習意欲が湧き出る
もちろん、僕もそうだ。目立ちたい、認められたいと思う気持ちが根底にあるからこそデビューできたと思っている。ただ、承認欲求が強くなりすぎると、自分の目標が誰のためなのか、何のためなのかハッキリせず、霧がかかったようにぼやける。だから自分を知ることが大事なのだ。僕が思うにサバイバルオーディションは自分を知るための絶好の場所である。
僕が参加した「PRODUCE 101」はミッションをする度に合宿をし、共同生活をした。合宿中は電子機器を全て没収されているので、外部に連絡を取ることもできない。完全に外と遮断された環境だからこそ、練習生同士のコミュニケーションも自然と増え団体行動に対する意識が変わる。