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女性受刑者の心を掴んだ八代亜紀に、家族愛を思い出させた島倉千代子

 坂本は刑務官を辞めた後に、ドラマの監修の仕事で八代亜紀や島倉千代子と交流している。担当した2001年TBS放送の「女子刑務所東三号棟3」では、八代が慰問する歌手の役で出演し「雨の慕情」を情緒豊かに歌っている。そこには全国の女子刑務所を実際に訪問し続けて来たがゆえの迫力とリアリティがあった。

「八代さんは何度も女子刑務所を訪れているので、女性受刑者の変化に心を痛めていました。女性が生きにくくなり、ストレスによる窃盗や覚せい剤が増えたことなどを話されていました。

 彼女は父親との関係を受刑者に語っています。中学を卒業すると年齢を18歳と偽って、八代市のキャバレーで歌を歌ったこと。それをとがめた父親に勘当されたが、事業の金繰りに困っていた父を助けるために歌手になってお金を稼ごうと決意し上京したこと。歌謡学校を苦学で卒業しレコードを出し、地方回りをしたこと。売り上げたレコード代金などを持ち逃げされたこと。そして勘当を解き上京して助けてくれた父親の大きな愛に包まれ今日の歌手・八代亜紀が生まれたことなどを歌の合間に笑いを交えて話すのです。受刑者も刑務官も彼女の苦労と努力、家族の愛に心を打たれたのでしょう」

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 坂本は島倉のトークも忘れられないという。

島倉千代子 ©文藝春秋

「翌年の女子刑務所東三号棟4のシーンで、演出者から『刑務所で話されていることをそのままおっしゃってください』と言われた島倉さんは、そこで台本には記されていないトークをされました。

 それは、彼女自身の話です。戦時中、疎開先でまだ7歳だった島倉さんは、水くみの仕事でガラス瓶を割ってしまい、左手を大怪我されるんです。切断は何とか免れるんですが、腕はそれから自由が利かなくなった。その島倉さんを支え続けたお母さんとのエピソードは、実に感動的でした。

 島倉さんは男性受刑者たちの刑務所をたくさん訪れています。ドラマの収録後、高松刑務所で彼女の慰問を受けた元無期懲役の男性から『泣けました。自分に置き換えて、母親の無償の愛に気付いたからです。立ち直れたのは島倉さんのおかげです』と聞いた話を伝えると、大変喜ばれ、後日、サイン入りの色紙が送られてきました」

 島倉が高松の刑務所を慰問した際、所長は自らのはからいで、10名以上の無期懲役の受刑者たちを講堂の最前列に並べたという。そのことを坂本は高松で服役していた受刑者から聞いていた。

 こうした犯罪者の更生に絶大な貢献をした2人。島倉千代子は2013年11月8日に病死(享年75歳)、八代亜紀は2023年12月30日に病死(享年73歳)している。