高校を中退して再び歌手を目指した理由
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それから1年後、相川は織田に直接連絡をすることになる。その間、彼女にいろいろな出来事が起こり、一度は諦めた歌手の夢に気持ちが向いて行ったという。
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――なぜ1年後、織田さんに連絡をしようと思ったのですか。
相川 高校を中退したのですが、今後を心配した母に「歌手になりたいと言っていたじゃないの。1回、織田さんに連絡してみたら」と言われたんです。
私は、中学3年間でダメなら諦めるという約束を重く受け止めていて、歌手になるという夢に蓋をしてグッと抑えていたのですが、母の言葉で「今だったら『お願いします』と言えるかもしれない」と思い直して。
織田さんに連絡したら「おっ、気が変わった?」と言われました(笑)。前のプロジェクトはもう他の方で進んでいたので、「次を考えるよ」と言ってくださって、すごくうれしかったですね。
――高校を中退した理由というのは?
相川 学校生活に馴染めなかったという一言に尽きます。中学時代にいじめにあって、両親の離婚も重なって、全ての人間関係がうまくいかなかったことを引きずっていたのだと思います。自分の居場所がないと、いつももがいている感じでした。今思い返しても、若かったのもありますが、自分を守るためにも高校をやめることに躊躇がなかったんです。
でも、当時の私の行動を自分の子どもたちに当てはめて親目線で考えると、無謀というか、恐ろしいことをしたなぁと思いますね(苦笑)。
仕事をしながらレッスンを受けていてデビュー前
――高校をやめた後、20歳の時に上京するわけですが、その間は何をしていたのですか。
相川 大阪でヴォーカルのレッスンに通いつつ、時々、織田さんに東京に呼んでもらって、仮歌を入れたり、あとは働いていました。やめた高校の先生が私を心配して、仕事を探してくれたんです。
デパートのお惣菜屋さんとかいろいろやりましたけど、一番長く続いたのはガソリンスタンドでした。お休みをフレキシブルに対応してくださって、東京に行くときも融通を効かせてくれて、本当に応援してもらったし、かわいがってもらいました。
――本格的に上京する前、一般社会で働くことで得られたことはありましたか。
相川 集団行動と規律が求められる学校生活では、人間関係がうまくいかなかったので、集団で動くのは自分に向いてないのかな? と思っていたんです。
でも、ガソリンスタンドでいろんな年代の人とチームを組んで仕事がうまく回っていくと、私も集団生活ができるという自信がついたし、社会から取り残されているわけではないという肯定感も得られました。それは、すごくいい経験になりました。