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まずは東口に出てみよう

 松戸駅は、東西のどちらにもペデストリアンデッキを持っている。まずは、東口に出てみよう。東口の駅前はこれまた狭い。駅を出てすぐ目の前にいくつも雑居ビルが並び、それらにぎゅっと押さえ込まれたような小ぶりなペデストリアンデッキ。駅前のビルのほとんどに直結していて、そのひとつにはドトールコーヒーもあった。ひしめく雑居ビルの脇の道にも飲食店などが建ち並ぶ。

 

 そして、このデッキをまっすぐ正面に歩けば、すぐにイトーヨーカドー。並びには大きく立派なマンションが聳え、その脇には急な階段がある。松戸駅東口は、わずかな市街地があってすぐ向こう側は高台になっているのだ。

 えっちらおっちら階段を登って高台の上へ。そこは松戸中央公園という、なかなか大きくて立派な公園になっていた。

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 公園の中をしばし歩く。すると、いちばん目立つ広場の脇に、「陸軍工兵学校跡」の碑が置かれていた。そのすぐ脇には「千葉大学工学部跡」の碑も建つ。松戸駅東口のこの高台、何やらいろいろと重要な役割を持っていたようだ。

 

この高台にもともとあった「意外なもの」

 もともとこの高台には、競馬場があった。明治時代後半の1905年、高台の森を切り開いて小さな競馬場になったのだ。松戸から習志野方面にかけての下総台地は、古くから馬産地として名高かった。そういう縁もあっての競馬場だったのだろうか。

 ただ、敷地が狭かったため、馬が走って回るにはあまりに急なカーブが連続する特殊なコース。おかげで落馬事故が相次ぎ、これではよろしくないとなって1918年に船橋に移転して去った。

 

競馬場にはその後、陸軍の学校ができて…

 その跡地に翌1919年には陸軍工兵学校が設けられる。かつての馬産地・下総台地は東京からも近く、陸軍の施設が多いエリアになっていた。その西の端っこの松戸も例に漏れず、工兵学校が置かれた形だ。中央公園を歩いていると、正門にはいかにも古めかしい門柱と歩哨舎があるが、これらは工兵学校時代のものである。

 戦後、工兵学校は校舎をそのままに千葉大学工学部となり、1964年に移転。跡地が公園として整備されて、いまの松戸中央公園になった。そして、この高台一帯は、「相模台」と呼ばれている。