そして、もう一つの「グローバル資本主義の腐敗」は拝金主義を過熱させ、サッチャーイズムやレーガノミクスに代表される市場経済の原理主義的な追求が格差社会と政治の腐敗をもたらした。この格差と腐敗が人々のあいだに分断をもたらし、“怨念の民主主義”がトランプを、欧州の排外主義勢力を生み落としたのである。そして市場経済化に踏み切った鄧小平の中国は今、その原動力であった不動産投資の腐敗によって経済崩壊のリスクを抱えながら、改革開放からの撤退を迫られている。
1979年以降の世界秩序の精神史は“熱狂”と“腐敗”の二重奏だった。それからおよそ半世紀が経った現在、世界規模の大乱という形でその極致を明瞭に現しつつある。実際、それは「フィナーレ」にふさわしい高まりを示している。世界はいま「ポスト冷戦のその後」の秩序形成に向けて「生みの苦しみ」の中にのたうち回っているのである。
これが日本の生きる道
日本はこの目まぐるしい世界の激流から完全に取り残されている。もし、衰退するアメリカでトランプ再選となれば、日本の指導者がやるべきことはただちにトランプタワーに赴くことではない。「NATOなんか守らない」「ロシアをけしかけてでも防衛費を払わない国を侵略させる」とまで言う暴君に対して、「その防衛政策は誤りだ」と米議会や欧州と連携しつつ、提言できる国でなくてはならない。米国依存のフォロワーシップではなく、米国を導くサポーターシップこそがわが国に求められるだろう。
中ロ朝の緊密化は国際秩序において、とりわけ日本が危うい立場に置かれるということである。台湾有事だけに集中することが許されず、自衛隊は「南西シフト」だけでなく、日本全土を襲う可能性のある北朝鮮の巡航ミサイルに目を光らせなくてはならない。
われわれはこれまでとは次元の異なる防衛意識を持たなければならないし、日本の左派リベラルもまた安全保障に正面から向き合い、法の支配や民主主義を守る責務を担うという背骨のある平和論を彫琢していく必要がある。
希望は2028年にある
しかし、ここで最後に“2028年の希望”について書きたい。2016年からの地殻変動がさまざまな化学反応を起こしていることはすでに述べたが、そのなかには明るい副産物もある。たとえば「世代の交代」が今後、世界秩序の地合(じあい)を今とは異なるものに変えていくはずである。この10年、成人を迎えた世代は冷戦は勿論、各種の原理主義がもたらした熱狂と腐敗のポスト冷戦期も知らない。逆に彼らは現実重視で穏健な保守志向と共に、環境や人権・民主化といった価値観をSNSと共に生活感覚として身体化している。さらに彼らは多感な時期にパンデミックを経験しており、世界の有り様が良くも悪くもたちまちに変化するものだと経験的に知っている世代だ。
たとえば、イランではスカーフを適切に着けていなかったとして風紀警察に逮捕された女性が急死した事件をきっかけに、2022年にかつてなかった大規模なデモが勃発した。驚くべきは、デモの矛先が最高指導者ハメネイ師やイスラム主義体制にまで向いたことだ。イランの新世代はもはや反米のスローガンや核開発にさほどの関心を払わない。さらに、広く言えば「宗教原理主義の熱狂」は年齢構成が若い中東の国々で今後も持続することは難しいだろう。同様に若い世代が政治変革に立ち上がっているのがミャンマーである。ミャンマーでは軍事政権によるクーデターが2021年に起こり、民主化運動の指導者・アウンサンスーチー氏が軟禁状態にある。目を瞠(みは)ったのは、当初は都市部で平和的なデモをしていた学生たちが国軍の弾圧に対抗するため農村部に移り住み、ゲリラ兵になって国軍と戦い始めたことだ。そして彼らは今では軍政に対抗する「並行政府」を作るに至っている。