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「モモコさんに手を差し伸べてあげていたら…」元BiSH・リンリンが明かす、解散宣言後にメンバーに抱いた“本当の気持ち”

MISATO ANDOさんインタビュー#1

2024/04/05
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「死ななければいい」「生きているだけでいい」という時期を乗り越えて

――ANDOさんにはそういう迷いはありましたか?

ANDO 私はモモコさんみたいに、考えて考えすぎることが逆にできなくて。現実と向き合うことができない、なんか弱いところがあるんです。これをやりたいと思ったらやれるっていう漠然とした自信が根拠なくあるタイプで。だから“自分はこうなりたい”というものもあったんです。

 ただ、自分の人間性に対して落ち込むと、たまに反省文をバーッとメモすることはありました。自分がこういう人間なんだと知るために、足りないものやなおすべき考え方を残したりはしていましたね。

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©深野未季/文藝春秋

――2022年10月21日の記述に、おふたりのこんな会話がありました。《体力ばっかりなくなって、全然自分のことできないよね……》。そのモモコさんの言葉にANDOさんは《踏ん張っていくしかないね》と。周りに気を配る余裕などまったく持てないほど、毎日が怒涛の忙しさだったのではないでしょうか。

ANDO その頃はホールツアーとライブハウスツアーを同時並行していて、合わせると100公演近く廻っていたんです。とにかく、体がお仕事の現場にあればいい、持って行こう、みたいな。とにかく死ななければいい、生きているだけで私たちはいい、そういう時期だったんです。

 解散前のラスト1年では月に1回、休息日をスケジュールに入れることになったんですけど、でもやっぱりみんなで出よう、やることがあるから。そういう日々でした。

それぞれの得意分野で支え合い、互いに認め合った解散までの日々

――解散までよくやり遂げましたね。

ANDO ほんとうに。メンタル的にもなんとか乗りきって。

 でもそこには、「ひとりひとりが6分の1のBiSH」っていう意識がみんなにあったと思います。みんなで支え合って。だから頑張れたのかなと思います。

「LETTERS」のミュージックビデオを撮影した時の話が本に書いてありましたよね(2020年6月30日)。大雨の中で長時間の撮影になって空気がピリピリして。そういう時って、たとえば自分が食べたかったお弁当がなくなってただけで涙目になっちゃうくらい忙しさのピークで。でも、誰かの何でもない一言で空気がふっとゆるんで笑いが起きたり。

©深野未季/文藝春秋

――グループが、とても繊細なバランスで成り立っていることがとても伝わる場面でした。

ANDO バランス……。はじめの頃は、それが難しい時期もありました。でも、解散が決まってからみんな大人になった気がします。お互いの良いところをたくさん見られるようになって。歌、バラエティ、絵、文章、みんなをまとめる力。そういうそれぞれの得意分野で支え合えた。嫌な部分を含めて自分もみんなも認めて、みたいな空気感になったと思います。

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