上手くなくても届くものがあることを教えてくれた
――そこにあったのは、「BiSHを大切にしたい」という思いなのでしょうか。
ANDO それは本当に大きいと思ってます。どこに行っても6人揃ったらBiSHになって、大きな物体ができる、みたいな気持ちがありました。
みんな子供の部分も大人の部分もそれぞれあって、厳しめなことを誰かに言う時にも、なんだろう……家族みたいというか。友達にされたら一生根に持つようなことでも、メンバーだったら飲み込めるし、いつの間にかそれも笑い話に変えられるようになったと思います。
――6人の個性が際立っていたからこそ、自分に足りないもの、コンプレックスを感じることもあったのではないですか?
ANDO モモコさんが歌が上手く歌えなかったことを書いていますけど、私もめっちゃ一緒で。そこはすごく苦しい部分でもありました。
私は不安を口にするタイプで、アイナ・ジ・エンドに「歌うのやだよー」と言うと、「でもリンリンの声はいいと思うけどな」と言ってくれて。上手くなくても届くものがあることを教えてくれたことは、すごい支えになりました。
歌が上手いとか下手とか、私あまりわからなくて。間違っていると言われてもわからないんです。シャウトはいくらでもできるんですけど、そういうことをテレビの歌番組で伝えるの、難しいですよね。だからライブで力をもらいたいと思ってくれる人に届けられればいいという気持ちに変えていきました。
何度でも思い返したい風景を版画に刻んだ
――そうしたBiSHの日々をモモコさんは文字で残されましたが、ANDOさんはアートで表現されていますね。
ANDO ライブで、私たちにしか見れなかった景色を絵で残そうと思っていたんです。ずっと1年半くらい、どうやったらこの景色を作品に残せるのかなと思っていて。解散のギリギリで突然思いついたんです。それで、解散ライブとなる東京ドームの1週間前、福岡の宮地嶽神社でのライブの日に彫刻刀を持っていって、空き時間に楽屋で彫ってました。
――それがステージ上、指メガネ越しに清掃員(ファン)を見ている木版画なんですね。『タイムカプセル2023』というタイトルの。
ANDO そうです。東京ドームの前日は、A4大の紙に一日中彫ってました。
BiSHにはいろんなジャンルの曲があって、ライブ会場がいろんな色の照明で染まるんです。版画なら色を変えて何度でも表現できるし、繰り返し刷ることは記憶を思い起こす作業にも思えて。何度でも思い返したい風景、それを東京ドームの日に間に合わせたかったんです。お世話になった人たちにはこの日に渡さないと、たぶんほとんどの人とは会えなくなってしまう。もう歌もやらないかもしれない、と思うと。
取材・構成 児玉也一