ただしそれは、ある意味上辺のこと。横澤彪が狙ったのは、昼間の主な視聴者層とされ る主婦層に支持されるような無難な笑いではなく、あくまで知的な笑いだった。
アルタの観客は「18歳未満禁止」でいきたい
たとえば、横澤は、当時タモリに「ここ(引用者注:新宿スタジオアルタのこと)の現象だけで笑う客をあてにしてるとギャグが言えなくなるから、テレビ観てる人が何万倍って多いんだから」と言っていたという。「観客」ではなく、「視聴者」を相手にせよ、と助言したわけである。横澤は、高学歴化が進む世の中で、視聴者のレベルはきわめて高く、演者の感覚さえ上回っていると考えていた。
そう感じていたのは、タモリも同様だった。最初タモリは、アルタの観客は「18歳未満禁止」でいきたいと考えていた。それは実現しなかったが、始まって1か月ほど経った頃の「話題の盛り上がり方が、主婦のペースではない」ことに気づき、「いけるな」と思うようになった。つまり、主婦ではない視聴者層、たとえば昼休みのあいだに職場や食堂で見ているサラリーマン、自室で見ている大学生のような視聴者からの反応が、『いいとも!』を支えたのである。
こうして、外見は世間の“良識”を代表するようなもので主婦層から反発を受けないようにカモフラージュしつつ、「密室芸人」タモリは、なんでもないような素振りで「昼の顔」に収まることに成功したのである。
タモリは「人間嫌い」だった?
しかし、そもそも笑いにおいて知的であるとはどういうことだろうか? 知識や教養がある、言い回しが洗練されている、など答えかたはさまざまだろうが、タモリに関して言えば、それは人並外れて鋭い観察眼ということかもしれない。彼一流のパロディであれ物真似であれ、その土台にあるのは、あらゆるひとや物事を徹底して観察する力、そこから生まれる独自の発想だろうと思えるからだ。
それで思い出すのは、横澤彪の「人間嫌い」というタモリ評である。