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 明治政府は、敦賀港を日本海側の玄関口として重視していた。三方を山に囲まれた天然の良港であり、東北~北陸から運んできた米を琵琶湖の船に積み変える拠点であり、中国やロシアとの交流も多かった。1902年にシベリア鉄道が開通した時には、敦賀~ウラジオストクの定期航路も開設されている。10年後に、東京~敦賀港駅間を直通する「欧亜国際連絡列車」が運行されている。

 欧亜連絡列車は戦争による中断と復活を繰り返し、第二次大戦後は航空便が盛んになったので途絶えてしまう。

 これとは別に、1922年から信越本線経由で上野~金沢間を走っていた急行列車が1939年に大阪駅まで延長された。しかし戦時体制のため1944年に廃止となる。1947年に復活したときは敦賀を経由せず、上野~新潟~金沢間の運行となった。1949年に金沢~大阪間が復活し、1950年に「北陸」の列車名がついた。しかし、1956年に運行区間が上野~福井間に短縮されてしまう。

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 1959年に東京~米原~敦賀~福井~金沢を結ぶ急行「能登」が走り始めた。東京~敦賀間の所要時間は9時間21分だった。しかしこの能登は1968年のダイヤ改正で廃止され、東京~敦賀間の直通列車は途絶えることになる。今回の北陸新幹線の敦賀延伸によって、56年ぶりに東京~敦賀間の直通列車が誕生したことになるわけで、敦賀市民の喜びは大きい。

福井県は「東京都から飛行機、列車のどちらも直行便がない県」だった

 さらに東京と福井県をつなぐ直通列車も23年ぶりの復活となる。

 1965年に上野~福井間に信越本線経由の急行「越前」が新設されたが、1982年に運行が終了。1968年に上野~福井間をつないだ上越線経由の夜行急行「北陸」も1975年に上野~金沢間に短縮されたことで、いったん東京(上野)から福井県への直通列車は途絶えた。1987年に国鉄は分割民営化してJRグループとなったこともあり、上野~福井間の運行は復活しないと思われた。

 しかし、1994年に上野~金沢間を走っていた「能登」が上野~福井に延長され、定期列車による上野~福井間の運行が再開。ところがこれも2001年に上野~金沢間に短縮されてしまい、在来線時代の上野~福井直通列車は終了していた。

 この時点で福井県は奈良県、三重県とともに「東京都から飛行機、列車のどちらも直行便がない県」となっていた。

 しかし北陸新幹線の敦賀延伸で、福井県は東京直行が復活した。残された奈良県と三重県はリニア中央新幹線の新大阪延伸で東京直行を実現できる。これですべての道府県から東京直行が可能になる予定だ。