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「食べるものは、ブタのために集めた残飯でした」極貧の少女時代→18歳でお見合い結婚→高級クラブを経て…マダム信子(72)が語った“人生の大逆転”

マダム信子インタビュー #1

2024/04/06
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――在日韓国人2世だったこともあって、学校ではいじめられていたとも。

信子 中学生のときは、特にひどかった。先生からも同級生からも、たくさん差別を受けました。新しい服を着ていくと、「くさい」「汚い」と言われて、靴で踏まれて。卒業式のときに、先生から「本名で呼びましょうか?」と言われたことは、今でも忘れられへん。

 好きだった仲の良かった男の子も、私が韓国人だとわかると態度を豹変させて……それで失恋したときはさすがにへこみましたよ。貧乏で差別も受ける。「なんとかせなあかん」という気持ちだけは強く持っていました。希望が大事やったんです。

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――ちゃきちゃきで明るいキャラクターは、昔から変わらないのですか?

信子 家では明るかったんです。自分が、弟や妹を支えていかなあかんからね。高校生になると、持ち前の負けん気でいじめをするような男子たちを、逆に返り討ちにするようになってましたわ、ハハハ。

少女時代のマダム信子(写真中央/本人提供)

最初の結婚は18歳で

――お父様の指示で、18歳のときにお見合い結婚をするもすぐに離婚します。

信子 お母さんを楽させてあげたかったから結婚したものの、家庭におさまるということが、私には合わなかった。お父さんからすれば恥以外の何物でもない。家に帰ることはできなかったから、自分一人で生きていくしかなかった。

 最初は、うどん屋に勤めていたんですよ。しばらくすると、友だちが田んぼの真ん中にスナックを建てるから、働いてみないかと声を掛けてくれた。実際に働いてみると、天職やと思いました。私は人と話すのが好きやったからね。

若き日のマダム信子。20歳で経営した「スナック&喫茶ノンノン」の前で(本人提供)

――その言葉通り、夜の街で手腕を発揮していきます。一スタッフから独立し、20歳で喫茶店兼スナックを経営。北新地の高級クラブでナンバーワンになると、自ら北新地でお店を経営するまでに。成功の秘訣は何だったのでしょう?

信子 やっぱり気持ちを強く持つことでしょうね。離婚をして家には戻れない。貧しかったから、絶対に成功してやるという気持ちもあった。ヒョウ柄がフィットしたのも、ヒョウのように強くなりたいと思ったからやと思う。

 私は水商売を始めたからには、一流を目指したかった。だから、ミナミやなくて北新地を選んだんです。私の性格を考えたら、チャキチャキな雰囲気のミナミの方が合うと思う。でも、一つひとつ上に上がっていくためには、知らないことを身に付けないといけません。自分にないものを補うためにも、クラシックな雰囲気が漂う北新地に行くべきやと思ったんです。そこで勉強してきたことを、自分のお店に還元する。田舎のお店やったから、「しっかりしたママがいるお店や」言うて繁盛しましたよ。

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