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――その後、幸治さんは戻ってくるわけですよね?

信子 1か月経たないくらいやったかな、「すみません」言うて花を持って帰ってきました(笑)。芸能界のいい仕事があるとか言われて、騙されたんでしょ。

©文藝春秋

――それから数年後、幸治さんから「交通事故に遭ったと思ってください……」とプロポーズの言葉を切り出されます。信子さんは、その言葉を聞いたときどう思われたのでしょうか?

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信子 「何を言うてん、こいつは」ですよ(笑)。私はオーナー、彼はスタッフ。真に受けなかったですよ。でも、その度胸っていうのかな、真剣な気持ちはすごいなと思いました。ちょうどその頃は、 バブルが崩壊して景気の見通しが悪くなることも予測できた。加えて、妹の旦那さんが事故で亡くなって、家族からは「大阪に帰ってきてほしい」と言われていた。そろそろ潮時かなと思って、みんなに大阪に帰ると伝えたんですよ。そしたら幸治君が、「僕も一緒に帰る」って。そのときは胸が痛かったわ。

自宅キッチンのタイルも豹柄に ©文藝春秋

周囲からの反対も

――本気なんだなと。

信子 色ボケだの財産目当てだのいろいろ言われましたよ。でも、私は幸治君の控えめやけど、日々努力を怠らない性格が大好きなんです。この人とならプライベートも仕事も、何があっても乗り越えられると思った。自分は目指していたてっぺんまで上りつめることができたから、大阪に戻ったら、幸治君を男にしようと思った。一切私は出しゃばらんと、彼に好きなようにやってほしかった。カウカウフードシステムという社名も会社も、幸治君が自分で興したものです。

――1999年8月に高槻市に第一号店『焼肉かうかう倶楽部』をオープンします。まさに心機一転だったわけですね。

信子 私もエプロン締めてお店に立って、キムチをせっせと漬けて。とりあえずお店を大きくしたかった。お店も軌道に乗って店舗数も増えていった。そしたら……狂牛病騒動になってしまってね。あのときが人生で一番つらかった。幸治君がおらへんかったら、どうなっていたか分かりません。