高級クラブの世界へ
――スナックを経営しながら、北新地の高級クラブで働いていたんですか?
信子 そうよ。朝は定食もやっていたからね。何事も経験が大事ですよ。やってみるから、「これはあかんな」「これはいいな」って分かる。私がナンバーワンになれたのも、経営者としてクラブを切り盛りできたのも、好奇心があったから。
――北新地で確固たる地位を築いていたにもかかわらず、38歳のとき銀座へ進出します。どうしてこのタイミングで銀座に?
信子 本当は、もう引退しようかなって考えていたんですよ。ところが、「銀座に行ったら気持ちが変わるから」って話す方がいて、試しに足を運んでみたんです。銀座の生花店に行ってお花を買って、「この辺りで一番いいお客さんが来るお店はどこですか?」って教えてもらってね。20歳のときと、まったく同じ(笑)。
それで訪れてみたら、目が点になった。あの人テレビで見たことある、あの代議士の先生、あの社長さん知ってる……すごい人たちがおるなぁなんて思いながらお酒を飲んでいたら、私のお母さんと同じくらいの年齢のママさんが、「お仕事をお探しですか?」って話しかけてくれた。気が付いたら、「はい」言うてました。
速攻で銀座に進出
――北新地でお店を持っている敏腕ママなのに(笑)。
信子 嘘ついてな(笑)。「うちで働いてください」って言われて、週3回、その店で働くようになったんです。といっても、ママは私の拠点が大阪にあることは知らない。最初はホテルに泊まっていたけど、銀座に通ううちに「これは週3はもったいないぞ」と。やるなら腰入れてやらなあかんと思ったし、銀座のクラブのママになるんやったら、勝負は早い方がいいと思った。それで拠点を移して、銀座に来てから9か月後に自分のお店をオープンしました。
――9か月後とは、ものすごい行動力ですね。
信子 私は、水商売の世界で終わろうっていつも思っていたからね。そのとき38歳でしょ。時間を無駄にしたくなかったんやろね。