日本に繁華街は数多くあれど、「夜の社交場」として別格の歴史とブランドを誇る街、それが銀座である。
大正時代のカフェーを源流とする高級クラブはいつしか「ネオン街」を形成し、1980年代から90年代前半に最盛期を迎えた。当時、銀座には大小合わせ3000店ものクラブがひしめき、「バブル時代」の栄華を象徴する舞台ともなった。
そんな銀座には、いまも語り継がれる「伝説のクラブ」が数多くある。なかでも、川口松太郎原作の映画『夜の蝶』(1957年公開)のモデルになった川辺るみ子ママの「エスポワール」、京都から銀座に進出し「空飛ぶマダム」と呼ばれた上羽秀ママの「おそめ」、そして後発ながらスターホステスを多数輩出し、後年に作詞家、直木賞作家としても名を馳せた山口洋子ママの「姫」は屈指の名店であったと言えるだろう。
「私が山口洋子ママの『姫』にスカウトされたのは1964年のことでした」
そう語るのは、銀座で半世紀にわたりクラブ「順子」のオーナーをつとめたこの街の語り部、田村順子ママである。
「私が『姫』に在籍していた期間は2年ほどに過ぎませんが、洋子ママが亡くなる2014年まで、半世紀にわたり深い関係が続きました。私にとって山口洋子さんはかけがえのない人生の師であり、恩人なのです」
「姫」の始まりは木造物件の2階
1937年生まれの山口洋子は順子ママより4歳年上にあたる。1957年に東映ニューフェイス4期生(同期に佐久間良子、山城新伍など)に選ばれ女優デビューするが、その前年、19歳の若さで銀座に小さなクラブ「姫」をオープンさせていた。
「姫」という店名の由来は、当時の山口洋子のニックネームである。黒澤映画『隠し砦の三悪人』(1958年公開)に登場する負けず嫌いの「雪姫」(上原美佐)のイメージを重ね合わせ、周囲の男たちは山口を「銀座の姫」と呼ぶようになった。
女優としては挫折した山口洋子だったが、持ち前の話術と人間洞察力でクラブママとしての才能を発揮。銀座7丁目の木造物件2階からスタートした「姫」は、8丁目、さらに人気の旧電通通りへと順調に進展していく。後発のクラブだった「姫」が人気を博した最大の理由は「ホステスの品質」にとことんこだわった山口洋子の店づくりにあった。