当時の銀座ホステスは教養や社会常識が必須とされたが、それらが少々欠けていたとしても男を引き寄せる力のある美女を採用し、一流のホステスに育て上げる。
「綺麗な女は人殺しをしたって許される」とまで言い切った洋子ママの審美眼は正確無比だった。
『夜間飛行』(北迫薫著、新潮社)のモデルになった「まこと」、ミス・ユニバース日本代表の飯野矢住代、梅宮辰夫の最初の妻である大門節江、いまなお銀座の老舗クラブ「麻衣子」のオーナーに君臨する雨宮由未子など、華々しい光を放つホステスたちがこの店に集まってきた。
東京・巣鴨のお寺の娘として生まれた田村順子は、高校を卒業後、日本楽器(ニチガク=現在のヤマハ)の銀座支店に勤務する。端麗な容姿を買われ受付に配属されたものの、受付の電話に男たちからの「デート依頼」が殺到し、社の業務が著しく停滞。やむなく「受付失格」を宣告されたOL順子は、1964年に「姫」のホステスとなる。
「2年間、無遅刻無欠席を続けた私は、洋子ママからは“順子ちゃんは姫学校の優等生”とおだてられていました。私もそれが嬉しくて、自分のことよりも洋子ママの喜ぶ顔が見たいがために働いていたような気がします」(順子ママ)
「ママにそういうことしないで! やるなら私にしなさい!」
若きオーナーママとして君臨した山口洋子が順子の才能を認めたのは、ある些細なできごとだった。順子が入店して間もないある日、ある酔客が洋子ママにしつこく絡み始め、店内でキスを迫ったことがあった。
次の瞬間、洋子ママは何者かに突き飛ばされ、椅子から転げ落ちた。後ろに立っていたのは和服姿の新人ホステス順子だった。
「ママにそういうことしないで! やるなら私にしなさい!」
腕をまくり自分の頬を指さしてみせた順子を見て、あっけにとられた洋子ママ。店内は静まり返り、毒気を抜かれた酔客は、すごすごと店を退散していった。後に洋子ママは「あのとき、順子ちゃんは必ずこの世界で生きていけると思った」と順子に打ち明けたという。