「銀座で色を売ってはいけないというのが洋子ママの哲学でしたから」
世界的な人気を誇るイギリスのロックバンド「ビートルズ」が初来日を果たしたのは1966年6月のことだった。3日間にわたる公演(日本武道館)は伝説となり、彼らの一挙手一投足はこと細かに報じられ、滞在中の日本はまさに「ビートルズ一色」。だが、幸か不幸か順子はそのスーパースターにそれほど関心を持ち合わせていなかった。
「私は、ビートルズについて深い知識もありませんでした。ただ、話を聞くとビートルズの招聘に深くかかわった業界の男性が『姫』のお客さんで、洋子ママにビートルズを“接待”する女性をリクエストしていたようです」
それがどのような意味での「接待」なのか、いまとなっては確認する術はない。だが、洋子ママが「エース」の派遣をきっぱりと拒否したことは間違いなかった。
「いま思えば、あれだけの世界的スターと会えるなら、ぜひ行きたいという女の子もたくさんいたはずだったと思います。ただそのとき、洋子ママは『姫』から女の子を出さなかったようでした。銀座で色を売ってはいけないというのが洋子ママの哲学でしたから、私たちを守ってくれたのでしょう」
実は順子ママの証言を裏付ける記事がある。当時、複数の週刊誌が「4人の銀座ホステスが極秘にビートルズの部屋に入った」と報道しており、なかでも『アサヒ芸能』は「贈呈された日本女性4人の告白」(1966年7月17日号)なる“スクープ”を掲載。
登場する女性たちの談話は匿名あるいは源氏名であるが、その女性たちを「調達」したとされる協同企画エージェンシー(現・キョードー東京)代表の嵐田三郎氏(故人)が実名で取材に答え、女性4人については「私の知り合いの子たちで、まあ陣中見舞いといった感じのものですよ」と、銀座ホステスであったことを認めている。
記事によれば、ビートルズ公演の現場を取り仕切っていた嵐田氏は当初「西銀座のH」でママに「ビートルズと食事をしてくれる女の子」の選定、派遣を依頼したが断られ、その後近くの別の店で交渉を成立させたとある。真偽のほどは定かでないものの、順子ママの記憶と合致する部分が多いことは確かだ。